ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

三日坊主を脱する意外な方法

やらなきゃならない!

と自分を追い込んで奮起させて、始めたことが3日も続かないことがある。

三日坊主とはよく言ったもんじゃの。

あたしの人生、何を始めるにもほぼ、三日で完結!の連続じゃった。

始めたのはいいけれど、その面白さがわからないまま中途半端なままでやめてしまうことで、ああこりゃ自分には合わなかった、と諦める。

しかし、こういう感じで始めて、辞める。始めて、やめる。が続くと、自分自身への評価がグングン下がっていくんじゃ。しかも、できなかったことが続いてしまうことで、自信もなくなり、どうしようもなくなってやがて放棄すると、今度はできなかった自分、続けられなかった自分を責めてしまい、自己肯定感もダダ下がり。

そうなると、新しいことに挑戦する気力すら奪われて、怠惰な生活に突入していく。

決める、という行為が恐ろしくなり、動く、という簡単な第一歩すら躊躇してしまう。

誰かに決めてもらえたら、そん時はやろう。

という形にして、オットにお願いしたら、断られた。

「どうせできんかったら、結局僕のせいにされるんじゃろ?」

と。そういうことじゃ。

やはり、自分がやることは、自分で決めんといかんのじゃ。。

のぶさんの手帳に、こう書かれてある。

^^^^^^^^^^^^

三日坊主にならないようにするために、それを「三日愛好」と呼ぶ。

3日間だけ、それが大好きで大好きで仕方がない時間を作る。3日間だけ。つまり、3日しか時間がないのだ。その間にそれを楽しみ尽くさなくてはならないルール。

その3日が過ぎて、そこからまた3日、何もしない日を作る。3日経ったあと、もう一度それをしたくなった場合は、改めて特別ルールを発動する。

1週間に2日間だけ、その楽しみに時間を当てることができるルールを敷設。

その週の2日間を3ヶ月、堪能したあとは、最後のルール。

そんだけ好きなら、仕方なし。

毎日やってもいい。

満を侍して解禁するべし。

 

^^^^^^^^^^^^^

なるほどなあと思った。そう考えれば、罪悪感がなくなるわな。

毎日続けなくてはならない、

ではなく、

そんなに好きなら仕方がない!毎日やってもいいぞ!にするという。

たとえ、やめたとしても、自分を責める必要もない。

やめる時も、

仕方なーくやっていたことだから、やめるのも気楽なもんじゃ。


三日だけ、好きなことをとことんやる。

それがもしかすると、将来の仕事になるかもしれん。

そこで出会う人が一生の伴侶になるかもしれん。

その中で学んだことが、10年後のヒントになるかもしれん。

やっているうちに出てくる問題を解決しているうちに、全く違うやりたいことが見つかるかもしれん。

その3日間の経験が最高で、そこから一生続けることができるライフワークにできるかもしれん。

あたしは、このブログを書いているうちに一つの夢が生まれた。

野望と言ってもいい。

可能かどうか、まだ漠然としていて、それと協力者が必要で、その協力者がそれを継続してやってくれるかどうか、、問題はいろいろある。

あとは、その協力者に少しでもお給金がいくようなシステムを構築したい。

ブログを書いていくだけでは、お金は儲からない。しかし、記事を書くだけで少しでもお金が入ってくるなら、やる気も持続するじゃろう。

その野望とは、、

「あたしが死んでも記事が公開され続けるゾンビシステムの構築!」じゃ

下書きに書き込んでおいて、それを予約して出していくには、時間がない。あたしの脳味噌を何処かに保存しておいて、そこから言葉を紡ぎ出す技術は100年後じゃろう。今できる一番効率よく公開し続けることができるのは、あたしの影武者を立てることにある。

幸い、それを名乗り出てくれている人物は、二人いる。

その二人に、さっちゃんイズムを伝授するのは、あたしがむかーーーし書いていた日記帳を読んでもらうのが一番と思い、コピーしてもらって渡した。

それを、どこかで一度記事として公開してみて、違和感がなければ、その作戦を実行していこうと目論んでいる。

世界初!死者からのメッセージ!ゾンビさっちゃん🧟‍♀️ホラー全開!

という副題をつけて、継続していこうと思う❤️


このブログを続けてきて思う。

続けることで見えてくる夢。

その夢を叶えるにはどうすればいいかを考える時間、の贅沢なこと。。

これを読んでくださっている方の中で、これから何かを始めようとしている方がいらっしゃるなら、お勧めする。

3日間。自分のやっていること、やろうとしていること、やってみて感じたこと、やったことで生まれたこと、やっても難しかったこと、やったからわかった素敵なこと。全部味わい尽くしてみて欲しい。

それがきっと、あなたの文章に乗って、誰かの心に伝わっていくんじゃ。

3日間を味わったあと、それが本当に自分にとって必要なことなら、それは自然に続いていくし、応援してくれる人も現れるじゃろう。

そして、それがラジオドラマになったりもする。

昔の友達と仲直りできたりもする。

素敵な脚本家に出会えたりもする。

この年で、誰かにラブレターを書けたりもする。

そして、あたしの人生、でぇれぇ楽しかったなあ。

となる。

さあ、もう少し。生きられる時間をたあっぷり楽しもうじゃないかい( ^∀^)


▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

モヤモヤスッキリ!

この人生、後悔していることだらけじゃよ。

いまだに思い出しては地団駄を踏む。眠れなくなる。涙が出る。

こんなところに、すましてチーンと収まってしまっているが、本当は今すぐここを飛び出して、謝りてぇ人んところへ行って、手をついてごめんなせぃを言いたい。

許してほしい。

今更ながらにそう思う。

当時傷つけた相手とは、疎遠になってしまい、お詫びもできず、あたしは嫌われたまま。相手もあたしに嫌われてると思い込んどるじゃろう。

一度連絡を取らねばと思い、共通の友人に調べてもらったが、その時あの人、やはりあたしのことをまだ恨んどるじゃろうって噂を聞いてしまい、連絡先がわかったのに、連絡ができんかった。怖かったんじゃ。

心の中が、ずっとモヤモヤしっぱなしでここまで来てしもうた。

ずっと謝りたいと思って25年以上経った。

そして、今朝。

その人から、驚きの長い長いメッセージが入ったんじゃ。もちろん、掲載オッケーしてもらったから、ここに載せるぞ。もち名前は仮名で。

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覚えてますか?田所(仮名)です。教えてもらって、びっくりしながらブログを読んでますよ。すごいです。あなたの生き様を知るにつけ、あの時のこと、やはり誤解だったとわかりました。

私は、あなたから直接聞いたわけではないのに、それを曲がった状態で信じてしまった。友人から、あなたが言ったという私に対する中傷を又聞きして。他の人に尋ねたら、やはり同じようなこと(私に対する中傷)が伝わってきた。そんなはずはないと思いながら、ストレートにあなたに「私に言いたいことがあるなら直接言ってよ。なんで私が辞めなあかんのじゃ?」と伝えたら、びっくりした顔で「そういう意味で言ったんじゃない」とあなたは言った。押し問答の末、

「私の言葉が信じられんのやったらそれでええよ。さいならね」

あっけなく終わってしまった私たちの関係は、それから修復されることなくここまできてしまった。

でも、あなたは、私に対して中傷は決してなかったと、今はわかる。

あなたからの中傷だ、と伝えてきたかつての友人に、あなたのブログを紹介してみたのよ。そしたら、「バチが当たったんやね」と返ってきた。

私は、違和感を感じて、なんでバチが当たったと思うのかを尋ねたの。

これもやっぱり誤解だったことがわかった。

昔のことを引っ張り出してきて、あなたにとっては不快なことになるかもだけど、許してくださいね。

ここをすっきりさせないと、あなたは私のことを嫌いなままや。それはあかん。困る。私がすっきりせん。私もこの20年以上、苦しかったんやけ。

書くね。

私は当時、42歳の出産ということで、いろんな不安を抱えていた。あなたは、私へアドバイスしたかったことを、染井(仮名)さんと、吉野(仮名)さんがいる場所で言った。

「産休やのうて、いっそ辞めてしまえばええのにのう。お子さんがかわいそうじゃけ」

この言葉は、二人にとっては、私がこの病院には必要ない、と思っている言葉に聞こえた。怒り心頭の二人は、あなたが、私のことを応援せず、看護師の道を捨てさせ、子どもが生まれることへの嫉妬もあり、職をなくした母子家庭の苦しさを味わえばいい、とまで言っていた口調で私に伝わった。

その言葉を信じた二人は、悪い方に思い込んで間違ってしまった理解のまま、しかもそれが増幅した状態で今も居た。

だから、バチが当たったと言った。

でも、あなたが娘さんをなくしたのは30年も前のこと。私が妊娠した時には、すでに娘さんは居なかった。もしかして、今苦しんでいる病気のことがバチなのか?

どう考えても、あなたに対して、バチが当たったなどと言うことは間違ってると思った。染井さんと話をして、彼女は彼女で実はずっとモヤモヤしていたと告白した。また個別に連絡が行くと思うけど、受け取ってあげて欲しい。

話があっち行ったりこっち行ったりしてごめん。

あなたが私に伝えたかったことの真意がわかったからそれを伝えたかったの。

看護師の産休明けの苦しさをあなたは一番よく知っていた先輩だった。

一年抜けるだけで、体制もルールも変わるし、運用も変わる。そこについていくだけでもかなり大変。当時の師長とのやりとり(チャンチャンバラバラ)を知っていたあなたは、別の病院へ行くことを勧めてもくれていた。そして、子どもを失くすという体験をしていたことで、幼い子どもと一緒にいられる幸せを私に、たっぷり享受させたかった。つまり、職場を変えて、産休と育休を取り、たっぷり子育てを味わい尽くせばいいと言いたかったんでしょう。もっと早く、あなたに謝れば良かった。あなたがこんなに苦しんでいるのに、何にも知らずに私はあなたをずっと誤解していた。直接会うことは難しい今。こうやってメールするだけだけど、伝わるかしら。

あなたの書いた歌詞を読んで、歌を聴いて、全部理解できた。


また会えた時に、私もあなたに伝えたいことがある。大好きな先輩だったこと。

また会えた時に、あなたの手を握って言うからね。

また会えた時に、あなたにしっかり謝って、頭を下げます。

また会えた時に、あなたにちゃんと、感謝を伝えます。

歌詞っぽく書いたけど、案外難しいねえ。

さっちゃんすごいねえ・・・


ともかく。あなたの、私に対する深い愛情が今頃になって気づけたってこと。

本当にありがとう。さちこさん。ごめんなさい。私、もう一度、あなたの後輩として、友達としてあなたの側に居たいです。

あなたを助けたいです。

どうすればいいかは考えます。もし許してくれるなら、あなたが応じてくれるなら、私があなたを全力で援けます。


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泣くといろんなところが痛むので、ガン泣きはできぬが、心のつかえが一瞬で取れた今朝じゃった。

田所さんはあたしの後輩じゃったけど、賢くて可愛くて、みんなの憧れの的。そんでもって性格もいいから、染井さんも吉野さんも、大好きで。

あたしは顔が怖いし厳しいから、あまり人気はなかった。

ただ、あたしは師長とは強いパイプがあったもんじゃけん、派閥みたいなもんもなかったとは言えん。その中での問題が、彼女の妊娠、出産で噴出した形になってしまった。

あたしは、もっと言葉を尽くせば良かった。と後悔していた。

修復しようと思えばできた。

でも、彼女が辞めるとなった時、それで良かったと思ってしまった。

他の病院でも、彼女ならやっていけるし、師長と反りが合わないからこのままここにいて、産休明けて戻ってきてもうまくいかないだろうし。これで良かった、と自分を納得させていた。

それがあかんかったのう。

長い間、お互いがモヤモヤを持ったまま生きてしまった。

しかし、このメッセージでスッキリした。

このブログを読み終えたらまたメッセージがくるじゃろうで、あたしはまた会えた時に言おうと思う。

私もあなたが、大好きよっ

てね( ´ ▽ ` )


▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

「応じて援ける」とは

「応援」

これってオットが好んで使った言葉の一つ。

応じて援ける。

応じる。つまり、相手を許容する。受け入れて認める。

援ける。つまり、相手のために力添えする。世話を焼いたり、お手伝いしたり。

今、あたしは福井チームの活発な動きを心の底から応援している。

大好きな人たちがワンチームになって挑戦している姿が、胸を打つ。

実は昨日から、頼みの左目が見えづらくなってきた。しかし、これがあたしの挑戦じゃ。消えそうになる自分の身体に呼びかける。

「あんたの身体はなぁ、娘のみぃとオットののぶさんの命も入っとるんじゃけ、最後までもたせんせいよ。あたしを応援してくれとる人たちへ、応援がえしをしてから死なにゃあおえんけえな。頼むぞ。」

あと2ヶ月。

ドクターが言うには、おまけしてこれだけじゃと。ふざけやがって(°▽°)バーロー

じゃが、それを超えていくんじゃ。

気が遠くなる薬を断ち、自分の意識をしっかり保つ。

修行僧のつもりじゃの。

恐れを飛ばし、癒しを求め、大好きな音楽を楽しみながら、心を動かし続ける。

自分のこの状態を受け入れて、動かない身体に対し、精神で支える。

これも応援じゃの。

この身が朽ち果てることはもうそこまで来ていて、イメージできてはいるが、まだその時じゃあない。その時まで、大いにあがいてみようと思うんじゃ。

何をあがくことがあるんじゃ?

と言われそうじゃの。最後は静かに、ゆっくりと、安らかに、皆に見守られて、ポックリいくことを想像しておったが、とんでもない。

あたしは、すでにたくさんの人に応援されてしもうた。たくさんたくさん愛をもらった。それを返さずして死ねんじゃろう。と思う。

晩年のオットは、棒を口に咥えてパソコンのキーを打ち込んでいた。その時のオットの気持ちが今、よーーーくわかる。

伝えたいことに溢れているのに、なぜそれを今まで、健康な時に、やって来なかったんじゃろか。。。と反省しきり。

死ぬ前になって初めて、自分がやらねばならないことに気づくって、遅いじゃろうが!

あたしはあたしに激おこ😡

とはいっても、時は戻せない。今、気がついたなら、今やるしかなかろうて。

で、何をあがいているか。

ずばり言おう。

こんなあたしを認めてくれて、理解してくれて、世話を焼いてくれて、生かそうとしてくれて、癒しを与えてくれて、勇気を与えてくれて、元気付けてくれて、楽しませてくれて、喜ばせてくれて、慰めてくれて、優しくしてくれて、ときには叱ってもくれて、失敗しても笑い飛ばしてくれて、全力で支えてくれる人たちに、伝えたいんじゃ。

「センキューフォーエッブリシング」

を。

あたしの感謝の言葉は、一言で表せないからブログを立ち上げさせてもらった。

人は、面白いもんで、決めると動ける。

決められないと、ウダウダと迷い、自分の役割に悩み、結局行動できずに終わってしまうことが多い。以前のあたし。

今は、やると決めたから、何がなんでもこの命に食らいついて離れんぞ、と思ってるから心が保たれているわけじゃ。

誤字脱字は多分相当あるじゃろうが、訂正はしない。頭のなかにある言葉が消えぬうちに書いてしまわねばならんからの。しょーこ姐が誤字チェックしてくれて、福井のみーちゃんがもう一度確認してからの公開になるけんそこは安心しとる。

支離滅裂になってきたら潮時やと思っとるけぇ、そうなるまでは書き続ける。まだ大丈夫。

応援。

この言葉を好んだオットの話に戻そう。


「人は、応援されて、生きる力を得られるものなんだ。僕は、君に生かされている。」

と言った日がある。

あたしは、オットを生かしていた。気づかないうちに( ^∀^)

あたしは言った。

「お互い様じゃろう。あたしもじゃーよ」

相手に対して、特に夫婦間では、応援してるよ、とはなかなか言わない。だって、それが当たり前じゃもんね。でも、オットは言った。

「君は上手いんじゃよ。自分じゃわかっとらんが(笑)」

「どううまいんじゃ?」

「君は、僕に対しての言葉遣いがまず穏やかで、優しい。その声のトーンが、僕を認めてくれていることがわかるし、僕の話に頷きながら聞いてくれる姿勢に尊敬を感じる。」

「そんなこと、当たり前じゃろう?」

「いや、言葉遣いの根本にあるのは、相手への敬意なんじゃ。それがなくなったらぞんざいな口調にもなるし、声にもとげができてしまう。僕は、君の声を聞いて、君の使う言葉を楽しみながら毎日を生活できるのが幸せなんじゃ。」

「こそばいいことゆうて!」

嬉しい褒め言葉に、照れるあたしに向かってさらにオットは重ねた。

「君に言われた言葉がここに書いてある。読むぞ」

そう言って、手帳に書かれた言葉をかすれた声で読み上げたんじゃ。

「のぶさんはやっぱり赤が似合うとるねえ。色白やけぇ顔が桃色で可愛いわ」

「塾?やめてもええよ。あなたがやりたいことあるんなら、それをやるのが一番じゃ。のぶさんなら大丈夫」

「なんでいつもこんな難しいことできるんじゃね。はあー悔し。ほんに器用じゃのう」

「もう。すぐ泣くのう。あたしも泣けてくるじゃろうが。。のぶさんの悲しい顔は、辛い」

「朝方声が出しにくうてもええんよ。あたしが代わりに喋りまくるけぇ、あなたは黙って頷いとりゃええ!」

「そんなに急いでやらんでもええじゃろ。落ち着いて、のんびりやっても結局あなたは完璧に仕上げるんじゃけ」

「なんでいつもそんなにあたしに優しいん?惚れとるんか?惚れまくってるんじゃろ?」

オットの言葉を聞きながら、泣けて泣けて。

あたしってなんて可愛いんじゃろ。あたしってなんてオットのことが大好きなんじゃろ。オットも、あたしに惚れまくっとるってことを隠さない。

そうやって、時折あたしを泣かし、泣いてるあたしを抱きしめてくれた。

あたしは、オットに対し、いろんな言葉を使って応援していたことをその時知った。

応援という言葉を使わずに、応援するには、相手のことを好きにならないとできない。

相手のことを知らなくてはできない。相手のことを許さなくてはできない。相手のことを認めることができて初めて、相手を応援できるし、一緒に居られる。

あたしは、手帳を読んで気がついた。

のぶさんは、あたしがあたし自身を好きになるように仕向けてくれていたんじゃ。

あたしってすごい。あたしって可愛い。あたしって結構やるじゃん。あたしって言葉遣いが上手い。あたしって最高!などなど

読んでいるだけでそう思える。自分を認めることが、それでできたんじゃ。

自分を認めることができて、初めて、相手を認めることができると思う。自分のことが嫌いな人は、自分のせいにしてしまう。自分が悪い。自分がおかしい。自分が変。だからダメ。

で、自分のせいにしてしまう人は、人のせいにもできてしまう。社会のせいにもできてしまう。だって、自分が悪いんだから、相手も悪い土俵に立たせることができる。

こうなると、誰も応援できなくなる。つまり、応援もされなくなる。

ダメな自分を責めることに忙しくて、相手のことなんか見えなくなってしまう。さらに、自分のことを認めてくれない相手を恨んでしまったりもする。心に余裕もなくなるから、近くにいる相手への思いやりすら生まれない。

あたしはその典型じゃった。娘が死んだ時も、あたしは自分を責め続けた。何年も、苦しんだ。

オットは、少しずつ、あたしが自分を好きになるように仕向けてくれていたんじゃ。

自分を否定して、動けなくなって、世界が敵だらけになったとしても、たった一人があたしを見ていてくれて、ずっと変わらず応援してくれたから、今、ここにまだ生きている。

あたしは愛されていた。だから自分を愛することができた。

この歳で、このギリギリのタイミングで気づけて良かった。

まずは、今、全力で挑戦してくれている福井のチームに心からの声援を贈ろう。

「みんなぁーーーっ❗️だーーーーーい好きーーーーーーっ❗️(っ好きーっ好きーっ好きー(やまびこ風エコー)」


▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

命を燃やした証を作る

いよいよ始まる。

5月22日から24日の三日間を使って、福井のスタジオで「また会えたときに」の録音が開始される。

流行のクラウドファンディングもせず、寄付も募らず、友人知人にも頼ることなく、あたしにもお金の心配をさせず、有志が集まって一大イベントがスタートするのだ。

福井のみーちゃんからのLINEメッセージには、前向きで力強い言葉が並んでいるが、わかってるんじゃよ。相当しんどいってことはな( ̄▽ ̄)

コロナ禍の波をモロに受け、必ずしも順風満帆ではない台所事情。LINEメッセージの誤字脱字が増えることで、余裕の無さがよくわかる。

言葉の端々に、上手くいかないストレスが見え隠れする。

隠しているつもりじゃろうが、こちとらしんどい人を見続けてきた経験がある。すべてお見通しじゃ。

あと数日で本番となると、録音スタジオの選別は終わっているはずで、おそらくそのリハーサルを重ねていて、もしマイクが俳優さんの声質に合わなければ、予備を準備しているだろうし、座って録音するのか、立って録音するのか、それによってスタジオのレイアウトも変えなくちゃいけないだろうし、空調の管理や、部屋の照明のバランスや、ヘッドフォンの装着具合や、今時だとコロナ対策も完璧にやらないと、狭い部屋だと全滅の恐れある。

 

そして本番、その時現場で起きる様々な問題をどうやって解決していくかの検討をして、対策し、担当者を決めて、対応できるように育てておかないといけないし、俳優さんに渡す脚本の文字の大きさの修正とか、俳優さんたちのメンタルを上げるためのメッセージのやりとりとか、スタジオの入り口にお花を手配してテンションを上げさせる演出を考えたりとか、録音が終わってからの安全な打ち上げ場所の選定とか、考えても考えても出てくるのが、一発勝負の現場と、人材の配置。人の置き所を間違えると、致命傷になったりする。

イベントの成功の鍵は、適材適所だ。その場所のプロを、完璧に配置しなければ、そこが蟻の一穴になって壊れて行きかねない。

このイベントは、看護師が集まってやるクリスマス会の比ではない。いや、、あれも結構しんどかった。。なぜか壊し屋がおってな、やろうとしたことをことごとく破壊していく人がいた。壊して行きたくて壊したのではなかった。彼の名誉のために言っておくと、完璧主義やった。

患者さんに喜んでもらうために必死に考えて、演出をするんじゃが、日々忙しい看護師たちは、そこまでの熱意を持ってことに当れなかったのである。

患者さんを喜ばせたいのは山々じゃったけど、歌の苦手な人にも強要し、演技の苦手な人にも恥ずかしい思いをさせた。ど根性の演出家だったのだ。

気持ちはわかったが、誰もそこに喜びを見出せなかった。。。

そうなのだ。

表現する現場には、押し付けがましい演出はいらない。

現場でプロ同士が表現を称え合い、お互いの表現を楽しみつつ、細かく修正を加えつつ、より良いものを全員で作り上げていくのが、良い作品作りの方法だと思う。その情熱同士のぶつかり合いなら、どれだけ戦ってもいい。

そして、この脚本の完成度は凄まじいものだった。

テレビドラマの脚本家の方があたしの拙い物語を、素敵なシナリオに仕上げてくださった。この感動は、物語を書いた人にだけわかる感動じゃ。みなさん、申し訳ないのう。あたしが独占しとるよ。

この、脚本家の岡庭ななみ様。とても腰が低くて、心が熱くて、情に厚くて、短い期間中に、締め切りを守って仕上げてくださった。

ブログもすべて読んでくださり、あたしの気持ちも汲んでくださり、あたしの表現を壊すことなく、パーフェクトに寄り添ってくださった。

人の気持ちに寄り添える脚本家は強い。おそらく、素晴らしいお師匠様に教えを請われたのだと思うのと同時に、ご自身がかなり若い時、相当な心の苦労をされてきたのだと思う。人の痛みをわかり、そこに全集中できるのは、残酷を経験した炭治郎だからこそなのだ。

ちょっとずれた。。

戻す。

さらに言うと、こんな無茶なお仕事を引き受けてくださった心意気に惚れた。

シナリオが80枚を超える大作で、締め切りまで3日。

プロはすごい、という言葉だけでは表し切れない、壮絶な集中力と愛。

これを知った俳優さんはどう思うか。

あたしも表現者の端くれとして、痛いほどわかる。

受け取ったバトンを、次に渡すために、死ぬ気で走る。全力で、真剣に。

録音の3日間が、どうなっていくか、考えただけでもゾクゾクする。

あたしはそばにいることはでけんけど、福井のみーちゃんのスタッフさんが、きっと動画を撮影してくれて、うまいこと編集してあたしに送ってくれるはず。(さちこの希望です)

生々しい現場の映像はラジオドラマが終わってから楽しみたい。ジャッキー・チェンのNG集の魅力を越えた映像も期待したい。

贅沢な希望かも知れんが、関係者のみなさんが、このイベントを楽しみながらやってくださり、思い出を作ってくださり、コロナに負けずに制作した誇りを得てくださり、何より自分自身の命を燃やした証を作っていただきたいと思う。

あたしは、あたしで。

 

この毎日の吐き気と悪心を『つわり』と思って耐え抜く。

産みの苦しみを共有できるなら、あたしは耐え切れる!

 

 

▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

もう一つのラブレター

油断したぜ!!龍馬伝見ているうちにブログをジャックされておったなんて、全く気づかなかった。。

それにしてもな、愛されるって、、ええもんじゃなあ。

心がくすぐったくて、あったこうて、とろけてしまう。

まるで、カップアイスの周りを手で持ってると、中身が緩く溶けてきて、その溶けた部分と硬い部分を混ぜ合わせて食べたときの至福感?に似ている。

わ、わからんか。。

つまり!思わず笑みが溢れるくらい、嬉しい出来事じゃった。ということ。

ありがとう。みーちゃん。今日は、お礼にあなたのことを書くけんね。


覚悟しいやっ!!!!!(出た!志麻風)


ということで、まずは嬉しいご報告からの。

なんと、Twitterのメッセージ機能でご質問が来たんじゃ。歌詞の書き方についてじゃ。

Q:さっちゃんの歌詞に胸がギュうッとなりました。どうすればこんな歌詞ができるのでしょうか。

と。

ありがとうございます。経験したこと、思ったこと、自分に向き合って書く、以外に必要なことが何かってことだと思って今回は書いてみるぞ。

これは、あたしの我流であって、正しい方法ではないので、あり?っと思うかたは読み飛ばしてくだせぇ。

一世一代の気持ちで書いた歌詞がこちら。「また会えたときに」。

泣きながら書いた。

2週間ほどかかったかしら。

これを書いているときは、はっきりいってトリップしてたね。書き終わってすぐ、のぶさんに見せた。

のぶさんは、すぐ泣く。

その時も、しょっぱなの、「あなたが作ってくれた、フェルトの人形は、、」でポロポロと涙をこぼしていた。最後まで読んで、うん、大きく頷いてから、あたしを抱きしめた。あたしはそこで、娘にも抱きしめられていることがわかった。

強く抱きしめてくれるオット、のぶさんの腕の下に、小さな手がフワッと出ているかのようなくすぐったさがあったんじゃ。

例の野田さんの不思議話を聞いていると、少々のオカルトや心霊現象には驚かなくなっているどころか、そういう話や体験は大好物なので、みぃちゃんの腕の温もりは大歓迎。

ひとしきり、二人で泣きながら思い出話をしてから、歌詞の解説をオットにした。


実は、この歌詞は、もう一人のみぃちゃんに向けても書いているってことを伝えたんじゃ。


実は、娘の名前の読みと偶然同じ女性が福井にいる。漢字は違うが読みは同じ。このブログでも何度か登場している、あたしを支えてくれる福井のみーちゃんのことじゃ。このブログを立ち上げてくれた女社長な。

その彼女が、幼い頃、私も「みーちゃん」と呼ばれていた、と聞いた時、雷が落ちたか?と思うほどの電流があたしの体に震え走った。

娘の名前にも「み」が入っていて、福井の彼女にも同じく「み」が入っていて、それを伸ばしてミーちゃん。

あたしの娘の呼び方は変遷していて、最初は名前の最初の文字で呼んでいた。○っちゃん。最初の旦那がそう呼んだ。しかし、あたしにはどうもしっくりきていなかった。

そして、オットと出会い、娘の名前を呼ぶときに、○○みぃちゃん。と呼んだんじゃ。オットは特に、いつも喉の調子が悪かったので、かすれて最初の2文字がよく聞こえない。

でも、そのオットの呼び方が可愛くて、いつしか全員が最初の2文字をなくして、みぃちゃんと呼ぶようになっていったんじゃ。

可愛いじゃろ?みぃちゃんって。

娘も気に入って、自分のことをみぃちゃんみぃちゃん、と呼んでは悦に入っていたのう。

そのみぃちゃんと、福井のみーちゃん(前回の記事、くどいようだがこのゾンラブをジャックした娘)

この繋がりにあたしは、どうしてもシンクロナイズドしてしまい、迷惑じゃろうなと思いながらも、福井のみーちゃんに対して、今まで呼んできた苗字を突然やめ、みーちゃんで呼ぶことにしたんじゃ。

その変化に、すぐ対応してくれた福井のみーちゃんは、その日からあたしの娘になった。

(あたしはまだちゃんとそう伝えてないけど、そのつもりでいるんじゃよみーちゃん)

娘が生きていれば、このコロナの世の中の荒波にも飄々と笑いながら、楽しみながら暮らしていたんじゃろうなと思いながら、元気印の福井のみーちゃんを眺めてると、心がほっこりと、安らかになっていく。みぃちゃんを想いながら、同時に彼女に向けて歌詞を書きたい。

となったんじゃ。

つまり、娘にラブレターを書くつもりでこの歌詞を書く。つまり、福井の娘、みーちゃんに向けて書く歌詞。

これだ!

と思って「また会えたときに」を書いた。あたしの歌詞の書き方は、目の前にいる大好きな人に対して書く手紙。ってことじゃな。

死んでしまった娘に手紙を書いたとしても、もちろん届く。届くが、反応は少ない。

でも、生きている娘、福井のみーちゃんに向かって書けば、その反応は必ずくるし、きっと共感してくれるはず!

それをオットに説明したらびっくりしてたし、感動してくれた。

メールに書いて、送った内容をそのまま貼り付け↓


^^^^^^^^^^^^^^^^^^

みぃちゃん

あなたはのその艶やかな髪

あなたのその小さなくちびる

あなたのそのえくぼ

あなたが笑う時の細い目と

哀しくて俯く時の長いまつげ

 

みぃちゃんあなたはこの世から

消えないでね

ぜったい消えないで

 

みぃちゃん

あなたと一緒に見たい世界があるんだからね

あなたと一緒に感じたい喜びがあるんだからね

あなたと一緒に夢を見る時間を

きっとこれからたくさん作れるからね

 
消えないでいてね お願いよ

 

みぃちゃんあなたは誰からも愛されて

少しわがままだけど一途で可愛くて

憎めない仕草で笑うから

全部許せちゃうのよね

 

今のこの幸せ

夢なら醒めないでね

ぜったい醒めないで

 

みぃちゃん

あなたと一緒に見たい世界があるんだからね

あなたと一緒に感じたい切なさもあるはず

あなたと一緒に思い悩む時間を

あなたと一緒に抱きしめたいの

 

私にできることは一つ

 

あなたの全てをわたしの両手で包み込み

今日も誓います

 

どんなに辛くても

どんなに悲しくても

どんなに苦しくても

私は あなたに貰った希望を胸に生きます

生きて 笑顔で 生き切って

 

みぃちゃんあなたにいつか会えた時

あの言葉を

直接言って欲しいの

 

「さちこさん。大好きだよっ」て

 

「みぃちゃん。私もあなたが大好きよっ」て答えるからね

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


あたしの娘、みーちゃんへ追伸



あなたが居てくれたから あたしは今ここで生きてます。

あなたが全力であたしの心を支えてくれたから あたしは頑張れる。

あなたが泣くとあたしも悲しい。

あなたが笑うとあたしも嬉しい。

あなたがあたしにかけてくれた言葉の数々。

あたしがあなたに伝えた言葉の数々。

それがいつかきっと交わって世界に響く。


きっと届く。誰かの心に。

きっと叶う。誰かの夢が。

きっと繋がる。誰かと誰かの手が。

そして生まれるシンフォニー。


奏でようみんなで。

あなたから

あたしから

みんなから

声を出そう。

一緒にやろうって。

その一言が、誰かを救うと信じて。


誰かが笑えば、世界も笑う。

世界が笑えば、私も笑う。

そして私が救われる。

 



みーちゃん。あなたと一緒にここで表現できたこと、本当に嬉しかったよ。

もう少し、助けてね。もう少し。もう少し、頑張るけぇな〜


皆様。もう一度、よろしければお聴きくださいな
福井のみーちゃんに向けた歌詞を胸に❤️

(曲「また会えたときに」♪)

ゾンラブ☆ジャック!

今日は、このブログでも何度か登場させてもらっている(勝手にネタにされている笑)、私、福井のみーちゃんが、さっちゃんに変わってご挨拶させていただきます。

 

みなさま。いつも「ゾンビさっちゃんのラブ全開!」をお読みいただき、そして、作者さっちゃんに応援の意を乗せてくださり、ありがとうございます。

皆様の温かいお祈りをいただき、作者さっちゃんは日々元気で。リハビリに励んでいるようです。



さっちゃんから、


「ねえみーちゃん。今書いているドラマ脚本なんだけど、ブログで公開ってできないかしら?」

と突然の申し出があったのは先月4月10日のこと。

「うん!それはいいね!!早速に!」

と私、翌日にはブログ開設。

しかし、ドラマ「また会えたときに」の世界観をもったブログを想定していた私の、予想の遥か上をいく世界観を持って、プロフィール最初の挨拶記事テキスト案を送ってきたさっちゃん。。。

み「さちこさん、、、これ、、、ほんとにこのタイトルで行くの?」

  ゾンビさっちゃんのラブ全開!

さ「え?ダメかな?じゃあこんなのはどう?

 ・あと90日のイノチ
 ・死ぬまでに20万字!
 ・わたしはゾンビ
 ・あなたに伝えたい奇跡の軌跡

み「い、いや、い、いいんだけど、、、もちろん、さちこさんの思いがすごく伝わってくる、いいタイトルだよ!でも、、ちょっと、そのー、、、ドラマの世界観とは大きくズレがあるというか、、、なんというか。。。」

そこで私は気がついたのです。

そっか!そういうことか!

さちこさんにとって、ドラマ脚本は表現のひとつにすぎないんだ。

さちこさんには、他にも表現したい!書き綴りたい!残しておきたい!そんな言葉が溢れるほどあって、その場所を求めているんだってこと。


み「わかったよ、さちこさん!ブログは2つ作ろう!ドラマのブログと、別にもう一つは、さちこさんの思いをなんでもいいから自由に書き綴る日記。それなら難しいこと考えなくていいし。どう?それでいい?はてなブログはなんと、1アカウントで10個もブログ作れるだって!うってつけ!!」


こうして始まった2つのブログ


また会えたときに
ゾンビさっちゃんのラブ全開!

4月12日に、初めての記事を投稿されてから、1ヶ月が経ちました!

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最初は、さっちゃんが書いた文章を、私が管理者となって、私が公開し、更新していく。そのつもりでした。

しかーし!さっちゃんは私に全部任せて、じっとしていられるようなお人ではなかった!!

自分で、はてなブログの使い方をどんどん勉強して、下書き機能や、写真の貼り付け(フリー素材を集めることまで!)他ページへのリンクや、音声データの貼り付けまで(これはきっとHTMLを駆使しているはず)!!

私の想像を、はるかに飛び抜ける勢いで、毎日の更新を始めたのです。

しかも2つのブログをです!

私もこれまで、何度か個人ブログやビジネスブログを書いていたことはあります。

毎日更新することの難しさはイヤというほど知っています。

さすがに、2つのブログ両方を毎日更新し始めたさっちゃんに、ストップをかけました。

み「さちこさん、それは無理がありますよ。書けたとしても、書けない日のために下書き保存しておこう。せめてどちらかのブログを1つ更新。交互でも充分だし、それでもかなりしんどいはずです。」

さ「あら、そう?ならそうするわ。^^でもわたし暇だから。笑」

そういって、毎回おかしなスタンプを送ってくるのです。


(さっちゃんとの会話は主にLINEです)

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(最近どうもこのスタンプがお気に入りのようw)

考えてもみてください。
長文のブログを毎日更新するのは、普通に健康な状態でも難しい。


なのにさっちゃんは、
スタンプ見ていると、バリバリ元気なおばちゃんで、ついつい忘れてしまいそうになりますが、末期癌なのです。

毎日、身体中の腫れと痛みに耐え、腹水の苦しみに耐え、痛み止めによる副作用にも耐え、その中でも止めることなくリハビリを続け、リハビリの苦痛と疲労にも耐え、

一体どれほどの精神力で、このブログの記事を書いているのかは、筆舌に尽くし難いことは誰もが想像できることでしょう。

おそらく、体が動く少しの間を惜しんで、全ての時間をブログ執筆に費やしているに違いありません。

せっかく読者の皆様から送られてくる祈りで命のパワーが充電されても、体に無理をしての執筆で、それをすり減らしてしまっては本末転倒です。

み「さちこさん、1ヶ月よくがんばったね。凄いです。誰もが真似できることじゃない。書いて更新してきただじゃなくて、読者さんもたくさん増えて、いいね!もたくさんもらえて、それだけ多くの人の心に響いている。心に響く文章を読むって、幸せなこと。つまりさちこさんは、この1ヶ月でたくさんの人を幸せにしたってことですもんね。凄い!すごい!すごいよーーー!


だから、ここでちょっと休憩しませんか?


更新頻度を少し落としていきましょうよ。

2日に1回か、3日に1回。

それでも充分、さちこさんの想いは皆さんに伝わるし、皆さんも変わらず応援してくれますよ。」

 

 

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と、まぁ、こんなやり取りがあったわけなんです。

そういうわけで、今後は少し更新がスローペースにはなりますが、


さっちゃんは元気です。

元気すぎてほぼ一日ずっと大河ドラマ「龍馬伝」を一気見していたらしい・・・

最終回を前にして、すでに龍馬ロスだ、大変だとのLINEが先ほど届きました・・・(―;)

そして更には、ラジオドラマ企画の第二弾の構想!?まで練っているもよう!!

そちらも、3つ目のブログとしてスタートできる日も近いと思います。

どうか皆様、今後とも「ゾンビさっちゃんのラブ全開!」と、ドラマブログ「また会えたときに」と、ドラマ第二弾ブログともども、応援いただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


>さちこさん、

無断でゾンラブ、ジャックしちゃってごめんなさい。

でも、こうでもして、皆様に公言しておかないと、きっと無理してでもがんばっちゃうさちこさんだから。

さちこさんが、楽しく幸せであることを何よりも一番に優先して、これからも記事の書き書き、ゆっくり進めてくださいね。

私は、どんなことでもフォローしていきます。全力で。

さちこさんのことが、大好きだから。

さちこさんからいただいた溢れるほどの愛を、少しでもお返しさせてもらいたいんです。

その量は多過ぎて、まだまだ生きていてもらわないと返しきれない。

だから、まだまだいかないで。


さちこはんは、なかなかに肝が座っちゅう。きっと、でっかい花を世界中に咲かせるぜよ!
(龍馬伝風に)

 

涙のクローバー

四つ葉のクローバーを見て涙したのは二回目じゃ。

一回目は、

娘が6歳のときじゃった。

恥ずかしそうに

「お母さん。プレゼント」

と言って、しおれた四つ葉のクローバーを手渡してくれた。

あたしはそれを一瞬、四つ葉だとは思わず、どこかで拾ってきた葉っぱか何かかと思い、あまり感動はなく

「へ〜〜〜ありがとお〜〜ね〜」

といつも通りのテンションでそれを受け取った。

夕飯の支度をする前だったので、少し慌ただしく、その葉っぱをシンクの横に置いておいて、後から棚に置いておこう。枯れたら庭先に捨てよう。そのくらいのものだった。

娘は、人の気持ちを察する子だった。

おそらく友達に、四つ葉のクローバーってものは、幸運をもたらすラッキーな葉っぱだと聞いたんじゃろう。

いつも忙しいあたしに、少しでもほっこりしてもらおうと、必死に探してきたであろうしおれた四つ葉のクローバー。

なんの感動もない、いつも通りの忙しい母親。普通すぎるあたしの態度。娘からのプレゼントを、事もあろうにシンクの横に追いやり、さらには、あとで始末しようなんて考えてるあたしの顔を見て、悲しくなった娘。

目にいっぱい涙を溜めて、その葉っぱと、あたしの顔を見比べて、一瞬ふっと微笑んでキッチンから出ていき、スーッと寝室の方に行ってしまった。

その雰囲気を見たあと、まな板を出し、包丁を出し、冷蔵庫からキャベツを出し、さあ切ろう、としたその時、、ハッとするあたし。

何かやらかしたぞ。あたし!

横に置いた葉っぱを眺める。しおれてる。

あれ?

この葉っぱは、ただの葉っぱじゃなかったのか?プレゼント、ゆうとったな。

そっと持ち上げて、その葉っぱを静かに広げてみれば、、なんと、、

「四つ葉じゃあーーーー!あかん。あかん。今のあたし、あかんかった。最低やあーーー。」

その葉っぱを持ってすぐさま娘を追いかけて、寝室に行くが、居ない。

隣の部屋にも居ない。

どこだろう。どこに行った?

外に出た気配はなかった。くつは?

ない!

ああ、音を立てずに出たんだ!あたしに気づかれまいと。


あたしは、娘のあの悲しそうな顔を思い浮かべながら最悪の想像をしていた。当時住んでいたところには池が多い。少し歩くと海もあるし、川もある。危険なところがたくさんある。

自ら飛び込むことはないだろうと思うが、あの悲しそうな顔と、最後にふっと微笑んだ表情が気になって仕方がない。


みぃちゃん。どこ?

どこにいる?

声がだんだん絶叫に変わっていった。

「みぃーーーーーーっ!!」


近所の人が心配そうに出てくるし、窓からどうしたんと尋ねてくるし、黙って指差してくれるおじいちゃんもいて、あたしが娘を必死に探していることを察して、皆、助けてくれた。

娘は猛スピード自転車で、お寺のほうに走っていったという情報を得て、あたしは全力で駆けた。

補助輪付きのピンクの自転車がお寺の門の前に置いてあるのを見て、まずホッとして、娘の姿を探すが、近くには見えない。

あたしは息が切れて声を出せない。小走りに、黙って娘を探した。


そして、見つけた。


お墓の奥にある空き地(いずれお墓になるスペース)でうずくまっている娘。

あたしは、絞り出すような声で、

「みぃちゃん!!」

振り向いた娘は、あたしを見てびっくりしたのと同時に立ち上がり、手に持っていたものを後ろ手に隠した。

「みぃちゃん。ごめん。ごめんよ。さっきは。これ、お母さんにプレゼントしてくれたの四つ葉のクローバー。あなたの気持ちもわからんと横に置いたりしてしもうて」

すると娘は、首を横に振りながら(違うの、というジェスチャー)あたしに差し出した。

「さっきのは枯れてしもうたけぇ、これが本当のプレゼント。はい!」

その小さな手には、生き生きとした四つ葉のクローバーが3本握られていた。

「お母さんに、いいことたくさんありますように!」

その娘の声に、あたしは涙を止めることができなかった。

こんなバカで間抜けな母親に、あなたはどれだけ優しいの!

娘を抱きしめて泣いた。

娘が
「お母さん。さっきのは枯れてしもうてごめん」
と言うもんだからあたしは急いで首を振って言った。

「ちっとも枯れとりゃせん!少しだけしおれとっただけじゃ。そや、しおれとったんは、あんたがこれを見つけて、お母さんにあげよう思って、そっから長い道を歩いて、四つ葉が曲がったり折れたりせんように、そのあったかい両手に挟んで持って帰ってきたからしおれたんじゃろう。」

と、娘の顔を見た。娘はびっくりした顔でうなずいた。なんでわかるん?という顔じゃ。

「ああ、そんで今、ここまで自転車できよったんは、今度は枯れんように早く持って帰るためじゃろう。なあ」

娘は再びびっくりした顔でうなずいた。

「ほらあ!やっぱり、そうじゃろうがーーーーーー!」

また抱きしめた。愛おしくて仕方なかった。

あたしは、娘の可憐な気持ちに瞬間的に寄り添うことができなかったことを恥じた。プレゼント、と言うからには、特別な気持ちがあったはずで、それをその時受け取れなかった自分を責めた。

しかし、その反省の涙を止めたのも、娘だった。

「お母さん。お父さんの分も一緒に探そ」

「え?」

「ここ、たくさんあるから踏まんようにそおっとそおっと歩かにゃおえんよ(笑)」

とあたしの耳元でささやいて、微笑んだ娘。一瞬で涙が止まった。

「わかった。みぃちゃんの言う通りにする。よおし。お父さんに四つ葉のクローバー持って帰ってびっくりさせっちゃろうな」

涙を拭いて、あたしたちはキャッキャ言いながら探した。あたしは、その幸せを今でも鮮明に覚えている。

その四つ葉のクローバーが、今度は福井から届いた。

福井のみーちゃんのご友人(若いお母さんとお子様)が、このブログを欠かさず読んでくださっていて、さちこさんにこれを渡してね、とメッセージを添えて、私に送ってくれたんじゃ。

泣けた。。

四つ葉のクローバーには、想いが詰まってるから泣ける。

これが二回目の涙。

あたしの病気を知っていて、母と子が懸命に探している姿が思い浮かぶ。

「さっちゃんにあげようね〜。きっと喜んでくれるね〜」

と言いながら。

「はい!最高に喜んでますゾウーーーー!!!」

四つ葉のクローバーは見つけるのが非常に難しい。ほとんどが三つ葉。その中から探し出すのは至難の技。だからこそ価値があるし、だからこそラッキー。

どれだけ時間をかけて、それを探し、どれだけ時間をかけてそれを保存可能なものにして、あたしに美しいまま送ってくださったか。。それを思うとまた泣ける。

そして、その温かい思いに触れて、あたしはまた元気が出る。出まくる。こうして記事が書ける。

人の心というものが、あたしを救ってくれる。

救われたこの心を使って、また表現する。

人は、そうやって社会にお返しをしていくのかもしれんな。と思う。

四つ葉のクローバー。

命のプレゼント、いただきました。

ほんにほんに。

ありがとう。

おかげで、パワー充填じゃ!!!



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福井から幸運のクローバー



 

 

▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽