「応援」
これってオットが好んで使った言葉の一つ。
応じて援ける。
応じる。つまり、相手を許容する。受け入れて認める。
援ける。つまり、相手のために力添えする。世話を焼いたり、お手伝いしたり。
今、あたしは福井チームの活発な動きを心の底から応援している。
大好きな人たちがワンチームになって挑戦している姿が、胸を打つ。
実は昨日から、頼みの左目が見えづらくなってきた。しかし、これがあたしの挑戦じゃ。消えそうになる自分の身体に呼びかける。
「あんたの身体はなぁ、娘のみぃとオットののぶさんの命も入っとるんじゃけ、最後までもたせんせいよ。あたしを応援してくれとる人たちへ、応援がえしをしてから死なにゃあおえんけえな。頼むぞ。」
あと2ヶ月。
ドクターが言うには、おまけしてこれだけじゃと。ふざけやがって(°▽°)バーロー
じゃが、それを超えていくんじゃ。
気が遠くなる薬を断ち、自分の意識をしっかり保つ。
修行僧のつもりじゃの。
恐れを飛ばし、癒しを求め、大好きな音楽を楽しみながら、心を動かし続ける。
自分のこの状態を受け入れて、動かない身体に対し、精神で支える。
これも応援じゃの。
この身が朽ち果てることはもうそこまで来ていて、イメージできてはいるが、まだその時じゃあない。その時まで、大いにあがいてみようと思うんじゃ。
何をあがくことがあるんじゃ?
と言われそうじゃの。最後は静かに、ゆっくりと、安らかに、皆に見守られて、ポックリいくことを想像しておったが、とんでもない。
あたしは、すでにたくさんの人に応援されてしもうた。たくさんたくさん愛をもらった。それを返さずして死ねんじゃろう。と思う。
晩年のオットは、棒を口に咥えてパソコンのキーを打ち込んでいた。その時のオットの気持ちが今、よーーーくわかる。
伝えたいことに溢れているのに、なぜそれを今まで、健康な時に、やって来なかったんじゃろか。。。と反省しきり。
死ぬ前になって初めて、自分がやらねばならないことに気づくって、遅いじゃろうが!
あたしはあたしに激おこ😡
とはいっても、時は戻せない。今、気がついたなら、今やるしかなかろうて。
で、何をあがいているか。
ずばり言おう。
こんなあたしを認めてくれて、理解してくれて、世話を焼いてくれて、生かそうとしてくれて、癒しを与えてくれて、勇気を与えてくれて、元気付けてくれて、楽しませてくれて、喜ばせてくれて、慰めてくれて、優しくしてくれて、ときには叱ってもくれて、失敗しても笑い飛ばしてくれて、全力で支えてくれる人たちに、伝えたいんじゃ。
「センキューフォーエッブリシング」
を。
あたしの感謝の言葉は、一言で表せないからブログを立ち上げさせてもらった。
人は、面白いもんで、決めると動ける。
決められないと、ウダウダと迷い、自分の役割に悩み、結局行動できずに終わってしまうことが多い。以前のあたし。
今は、やると決めたから、何がなんでもこの命に食らいついて離れんぞ、と思ってるから心が保たれているわけじゃ。
誤字脱字は多分相当あるじゃろうが、訂正はしない。頭のなかにある言葉が消えぬうちに書いてしまわねばならんからの。しょーこ姐が誤字チェックしてくれて、福井のみーちゃんがもう一度確認してからの公開になるけんそこは安心しとる。
支離滅裂になってきたら潮時やと思っとるけぇ、そうなるまでは書き続ける。まだ大丈夫。
応援。
この言葉を好んだオットの話に戻そう。
「人は、応援されて、生きる力を得られるものなんだ。僕は、君に生かされている。」
と言った日がある。
あたしは、オットを生かしていた。気づかないうちに( ^∀^)
あたしは言った。
「お互い様じゃろう。あたしもじゃーよ」
相手に対して、特に夫婦間では、応援してるよ、とはなかなか言わない。だって、それが当たり前じゃもんね。でも、オットは言った。
「君は上手いんじゃよ。自分じゃわかっとらんが(笑)」
「どううまいんじゃ?」
「君は、僕に対しての言葉遣いがまず穏やかで、優しい。その声のトーンが、僕を認めてくれていることがわかるし、僕の話に頷きながら聞いてくれる姿勢に尊敬を感じる。」
「そんなこと、当たり前じゃろう?」
「いや、言葉遣いの根本にあるのは、相手への敬意なんじゃ。それがなくなったらぞんざいな口調にもなるし、声にもとげができてしまう。僕は、君の声を聞いて、君の使う言葉を楽しみながら毎日を生活できるのが幸せなんじゃ。」
「こそばいいことゆうて!」
嬉しい褒め言葉に、照れるあたしに向かってさらにオットは重ねた。
「君に言われた言葉がここに書いてある。読むぞ」
そう言って、手帳に書かれた言葉をかすれた声で読み上げたんじゃ。
「のぶさんはやっぱり赤が似合うとるねえ。色白やけぇ顔が桃色で可愛いわ」
「塾?やめてもええよ。あなたがやりたいことあるんなら、それをやるのが一番じゃ。のぶさんなら大丈夫」
「なんでいつもこんな難しいことできるんじゃね。はあー悔し。ほんに器用じゃのう」
「もう。すぐ泣くのう。あたしも泣けてくるじゃろうが。。のぶさんの悲しい顔は、辛い」
「朝方声が出しにくうてもええんよ。あたしが代わりに喋りまくるけぇ、あなたは黙って頷いとりゃええ!」
「そんなに急いでやらんでもええじゃろ。落ち着いて、のんびりやっても結局あなたは完璧に仕上げるんじゃけ」
「なんでいつもそんなにあたしに優しいん?惚れとるんか?惚れまくってるんじゃろ?」
オットの言葉を聞きながら、泣けて泣けて。
あたしってなんて可愛いんじゃろ。あたしってなんてオットのことが大好きなんじゃろ。オットも、あたしに惚れまくっとるってことを隠さない。
そうやって、時折あたしを泣かし、泣いてるあたしを抱きしめてくれた。
あたしは、オットに対し、いろんな言葉を使って応援していたことをその時知った。
応援という言葉を使わずに、応援するには、相手のことを好きにならないとできない。
相手のことを知らなくてはできない。相手のことを許さなくてはできない。相手のことを認めることができて初めて、相手を応援できるし、一緒に居られる。
あたしは、手帳を読んで気がついた。
のぶさんは、あたしがあたし自身を好きになるように仕向けてくれていたんじゃ。
あたしってすごい。あたしって可愛い。あたしって結構やるじゃん。あたしって言葉遣いが上手い。あたしって最高!などなど
読んでいるだけでそう思える。自分を認めることが、それでできたんじゃ。
自分を認めることができて、初めて、相手を認めることができると思う。自分のことが嫌いな人は、自分のせいにしてしまう。自分が悪い。自分がおかしい。自分が変。だからダメ。
で、自分のせいにしてしまう人は、人のせいにもできてしまう。社会のせいにもできてしまう。だって、自分が悪いんだから、相手も悪い土俵に立たせることができる。
こうなると、誰も応援できなくなる。つまり、応援もされなくなる。
ダメな自分を責めることに忙しくて、相手のことなんか見えなくなってしまう。さらに、自分のことを認めてくれない相手を恨んでしまったりもする。心に余裕もなくなるから、近くにいる相手への思いやりすら生まれない。
あたしはその典型じゃった。娘が死んだ時も、あたしは自分を責め続けた。何年も、苦しんだ。
オットは、少しずつ、あたしが自分を好きになるように仕向けてくれていたんじゃ。
自分を否定して、動けなくなって、世界が敵だらけになったとしても、たった一人があたしを見ていてくれて、ずっと変わらず応援してくれたから、今、ここにまだ生きている。
あたしは愛されていた。だから自分を愛することができた。
この歳で、このギリギリのタイミングで気づけて良かった。
まずは、今、全力で挑戦してくれている福井のチームに心からの声援を贈ろう。
「みんなぁーーーっ❗️だーーーーーい好きーーーーーーっ❗️(っ好きーっ好きーっ好きー(やまびこ風エコー)」
▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽