旅好きの方は多い。
およそ皆さんは、しっかり予定を定めて、泊まるところも決めて、見たい場所も訪れたいところも、るるぶなどで下調べをしてから赴くと思う。
普通はそう。
それが一番楽しめる旅の仕方。
しかし、あの人は違う。
とりあえず、思いついた日に、思いついた場所に、お金ももたずに行ってしまう。後先を考えず、無謀な行動に出るタイプ。なのに、素敵な出会いと、最高の景色と、最強のご縁をいただいてしまう人。
それが、くまさん。
オット、のぶさんの手記には、様々な物語が詰め込まれている。
おそらく、近しい人も知らないような内容。
あたしですら知らなかったこともある。
内容がちょっとあやふやで、これはもしかしたら違う人なのかもしれない、というエピソードもある。
本人に確認したら、え〜っとそうだったかな〜と目を白黒させながら否定するだろうから、尋ねることもできないんじゃが、これ絶対くまさんじゃろう!と思える内容。
で、裏ルートから確認すると、やはり本人だったということが多々あり、この興奮が病みつきになる。
さ。ここからが本番でのう。
皆さんには「おいおい!まじか!」と突っ込まれるくらいの面白いストーリーが展開されていく。
と、期待させておいて悪いが、全く面白くない人もいるじゃろう。
そんな方は、このブログの最初から読んでいただきたいんじゃ。
そこかしこで、小さな伏線は張ってあるんじゃよ。
特に、別ブログ。「また会えたときに」のラジオドラマ、を時間のある時に聞くか、「また会えたときに」のブログをじっくり読んでいただければ、あーあーあーあーあーあー!と合点がいくと思う。
ここまで言ってもわからない場合は、コメントをくだされ。
ずばりお応えしよう(๑>◡<๑)
さて、大量のエピソードの中に、あたしが好きなくだりがあってのう。
フェリーを止めた話。
まさかじゃろう(笑)
そう。そのまさかじゃww
そのフェリー会社に、オットの従兄弟(いとこ)が勤めておらんかったら、一生知らんでいたはずじゃ。たまたま親戚が集まる会があり、そこでオットが言い放った一言で、従兄弟のカズさんが反応し、のたまった。
「ああそういえば。ノブさんの言ってるような人、おったなあ。」
それを耳にしたあたしは、運ぼうとして持っていた夜食のうどんを全部ひっくり返す勢いで皆がいるコタツに駆け寄った。
「で!そりゃどんな人じゃ?な!」
慌てるカズさん、ほくそ笑むオット。
今回は、オットが遺した手記にあるデータを流用させていただくことにする。あたしの軽い文章ではせっかくの物語が台無しじゃけ。オットの文章をそのまんま使う。
プロローグ
昔の瀬戸内海は、フェリーで移動が普通だった。島々を渡るフェリーが住民の足であったし、それが恋の始まりだったし、別れの代名詞でもあった。
昭和 63 年の瀬戸大橋が開通してフェリーが減り、平成 10 年の明石海峡大橋と平成 11 年のしまなみ海道の開通により、さらに減った。
時は1990年代初め。平成初期の頃だから、瀬戸大橋の影響をまだ受けていない地域のフェリーでその事故は起きた。 私の従兄弟の「カズ」が働いていたそのフェリーは、小さいながらも馬力も有ってお客様もそこそこ入る優良フェリーだった。
しかし、絶対に安全とは言えない恐ろしさを持っていることを、この事故でまざまざと思い知らされたとのこと。
当時の話で、従兄弟が覚えている範囲で話してもらい、そこに多少の脚色を加えつつ、小説風に書き換えた。
祥子、長くなるが最後まで読んでくれよ。最後に、君へのメッセージも書き加えてある。
従兄弟の記憶を辿ると、そこに乗り込んだのは、緑色のジャンパーと、赤いTシャツと、薄いブルーのデニムGパンの青年だった。学生さん。 グループ旅行。サークルの仲間か。一緒に居たのは、キャスケット帽を被り、後ろ髪を細く束ねて結んでいる女学生一人と、先輩らしき3人。事故後、敬語を使っていたからおそらくそうだろう。
まさか自分が、乗っているフェリーを止めて、Uターンまでさせる人間になるとは思いもよらずだったであろう。連れの4人も、赤Tの男にそんな度胸があるとはつゆ知らず。
わきあいあいと秋の瀬戸内海クルーズを楽しんでいた。
事件は母親の奇声が鳴り響いて始まった。
「イヤーーーーーーーっ!!止めてー止めてー!止めてーーーーー!」
という声。
驚いた従兄弟は、何が起きたのかを確認しにデッキへ。 子供がデッキから海に落ちてしまったと泣き叫ぶ母。しかし姿は見えず。後方のスクリューに巻き込まれたか。
そこへ赤T青年が走ってきて、従兄弟に質問したという。
フェリーが転回するには何分かかるのか、
救助ボートは何分で出せるのか、
浮き輪はどこにあるのか。
「転回には5分。救助ボートは10分は必要で、浮き輪はあれです。」
と指差した途端青年は
「10分耐えます。迎えにきてください。」
と言いながら浮き輪を取り、ジャンパーを脱ぎ捨て、靴を脱ぎ捨て飛び込んだ。
すでに見えない子供がどのあたりにいるのか、見当がついているかのように一直線に向かって行った。
100メートル以上離れた場所で、子供と青年が浮き上がってきたのを見た乗客の歓声は凄まじかった。
浮き輪に子供を乗せて、人工呼吸している様子が見える。母親が子どもの名前を絶叫している。そばに行って抱きしめたいであろうに、海に飛び込むこともできず、もしかしたら死んでしまう我が子の状態に、正常でいられるはずもない。
しばらくしたら右手を上げた。蘇生したという合図。
落ちてから蘇生までの時間は4分ほどだったか。 母親は、酸欠状態の様相で膝から力が抜けたのであろう。甲板にどっと倒れた。
しかし、結局救助用のボートは錆び付いて動かせず、エンジン停止までの時間がかかったのもあり、そこから転回も10分以上かかり、水温も低く、二人の命が危なくなった。
従兄弟いはく、人生で一番焦った日。乗客の苛立ちが怒号となる。
しかし、青年は、笑顔でずっと声を出していた。
子供をさすり続けたり、右手で抱きしめたり、アンパンマンの歌を歌ったりと、そのおかげで子供の心臓ももったと思われる。
まず子供を引き上げた後、すでにぐったりとし、自分の力では上がれない青年は、浮き輪に体を入れた状態で乗客や仲間たちに引っ張り上げられた。
二人とも無事だった。
乗客の歓声と拍手は割れんばかりだったという。
フェリー会社としては、大きな問題を残す結果となったわけだが、人命は守られた。
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これが30年ほど前、実際にあった話じゃ。
溺れている人を助けることは、非常に難しい。
自分が溺れる可能性がある。しかも、初冬の海。
人間というものは、簡単に説明がつかん生き物じゃ。
なぜそんなことをしたんか、を問われても、
咄嗟の時、おそらく何も考えていないことが多い。
何も考えず、
ただ、子どもの命がここで潰える事を善しとしなかった人間の行動じゃった。
その後の話は、次回へと続く。
〜ゾンビより愛を込めて〜
くまさんの物語は、まだまだ続くのだ。結構面白いのだ。のだのだのだ!!
sachiko1375.hatenablog.com
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