<昨日の日記>の続き
今回のお話は、かなり深い。
子育てに必死な親は、気づいていない。
我が子に毎日試されているということを。
子どもだからわかっていない、見えていない、理解できない、難しい話だから大丈夫だろう、などと、子どもの脳味噌を舐めていたらあかんぜよっちゅう話になる。
二つのエピソードがある。
一つ目は、嘘泣きをする僕。
二つ目は、死んだふりをする僕。
困ったちゃんである。この問題児に、お母さんはそれぞれシンプルな対応で接していく。そこが大事なんだな〜と納得できる。
行くぞ。
はじまり始まり〜〜〜
僕は小さい頃から、母を独り占めにするために効果的な方法を知っていました。それは、泣くこと、笑うこと、しゃべること、うまそうに食べること。中でも、一番は泣くこと。これが断然強かったです。お母さんとしては、泣かれると辛いんです。本当に辛い。子どもの泣く声って、独特です。
さいしょは、胸をえぐられる気がします。
それが続くと、怒りが湧きます。
理由がわからないとさらに悲しみまで湧いてきます。
「どうして泣いてるの?どこが辛いの?お腹すいた?パッパ替える?暑い?寒い?苦しい?違うの?なんで?どれ?何?泣かないでよ。こっちが悲しくなってくるよ。」
となるわけです。
まるで自分が否定された気分になります。子どもが泣く理由は、様々ありますが、思い通りにならなかった時とか、気分が悪い時とか、孤独を感じている時とか、喉が渇いたり、お腹が空いている時とか。そういう時の泣き方はいわゆるギャン泣きなので、推理もしやすいですね。
これは、ある程度子育てに慣れてくるとわかります。性格が見えてきますからね。
しかし、嘘泣きは、たちが悪い。なぜなら、泣いている理由がわかりようのないものだからです。
子どもはその時、何を考えているのでしょうか。
実は、泣いている自分を見てもらい、周りの人間はどう反応して、どう対応するのかを、確認しているのです。
怖いですねえ〜〜。何度もそれをされると、さすがにイラっとくるのが人間です。若かりし頃の母も、日記には生活の苦しさと、僕の嘘泣きに困っていることが書かれていました。
しかし、読み込んでいくとわかります。
本当に苦しくて泣いている時と、嘘泣きの区別がちゃんとできるようになっていった。ということです。つまり、僕の迫真の演技はバレバレだったということです。
母の感覚というものは、すごいです。いくら巧妙に、涙を流して泣いてみても、本気かそうでないかはわかってしまうのです。
命の危険を伴う病気の涙と、甘えたくて母を独り占めしたくて流す涙の質は全く違うということですね。
そして、どちらの涙も、
「かわいい。」
でひとまとめにしてしまうシンプルな結論でした。
子どもって、こういうものなのだろうなと、21歳の母は開き直っているのです。
何度も落ち込んで、何度も悩みます。
(日記の束に手を置きながら)
しかし、この日記の中にある「かわいい」という文字は、数えきれないほどあって、その文字の後の母の心は平常心に戻っていきます。
そうです。我が子は「かわいい」のです。
だから、苦しいことも耐えられる。
もしかするとそう思い込んでいるのかもしれません。そうあるべきだと信じているのかもしれません。本当に可愛かったのかもしれません。
どんなに子育てが大変でも、それに耐えながら、そして楽しみに変えながら、僕を育ててくれた母が一番「可愛い」と今、思います。
時は過ぎて、僕は小学生になりまして。これは日記ではなく、僕の記憶です。
5年生になったところです。母は、家計を助けるためにさまざまな副業をはじめていました。メガネの内職、クリーニング店の代行、中でも重労働だったのが、牛乳配達です。お客さまの開拓、販売、配達、集金。全てを一人でやっていました。
僕はある冬の日。大雪の日です。集金のやり方を教えてあげるよ。ということで、夜、一緒に顧客のお家に訪問し、お金を集めさせていただく勉強を、実地でさせてもらったのです。
実を言うと僕は、退屈で退屈で。。。降り続ける雪もひどいし、屋根から落ちてくる雪に当たったり、車が通った後は滑るので転ぶし、母は早く終わらせて家に帰り、弟や妹にご飯を作ってあげないといけないし、僕はつまらないから雪で遊び始めるし、母は気が気でなかったと思います。
そんなとき、僕は思いついたのです。
お母ちゃんは、僕がこの雪の寒さで死んだ!?としたらどうするだろうと。
スタスタと先を急ぐ母が憎らしくなってきたのもあり、町内のはずれの暗い夜道の真ん中で、僕はそれを決行しました。
死んだふりです。
母は気づかずに歩いて行きます。
50メートルくらいは離れたでしょうか。僕は、息を殺して、横になったまま動かずにいます。
雪を踏しめる足音がなくなっておかしいなと気付き、後ろを振り返った母は、倒れている僕を見てどう思ったのでしょう。
沈黙がありました。
その後、小さな声で母は、僕の名を呼びました。
「こういち?」
僕は絶対に返事をするもんか、と決めていたので、無視を決め込みました。しばらくの沈黙。
多分、怒って先に行ってしまうんだろうなと思ってました。
しかし、母の声は違いました。また僕を呼んだのです。その声は、最初は恐ろしげに。そしてだんだん母の声の張りが膨らんできて、
「こういち?・・・・・・こういち!?」
いつもの優しい母の声ではなくなっていました。今まで聞いたことがない声でした。集金袋も投げ捨てて、僕の名前を叫びながら駆け寄ってきたのです。
声にならない声、今まで聞いたことがない声、いまだに心の中で忘れられない声。
母の、搾り出すような絶叫を、自分の名前の発音で聞いた僕は、一瞬で胸が締め付けられました。母を騙した自分への責めと、倒れた僕を心底心配してくれた母の愛情を踏み躙ってしまった僕の愚かさで、つむった目から涙が溢れました。
本当は、笑顔で起き上がり「嘘だよーーん!」というつもりが、
目を開けて、だいじょぶ。と言って立ち上がった僕。呆然として、少し怒っている母は、集金袋を拾い次の集金に向かう。降り止まない雪の中、僕は心の中でごめんなさいを繰り返しながら、歩きました。
母に嘘をつかないと決めていたのに、こんなに大きな嘘をついて、冗談にならないやり方で騙したことを今でも反省しています。母の愛情をこれではっきりと認識できたのですが、とても後味が悪かったです。今でも、思い出すだけで辛いです。
母の愛を確認するには、まちがった方法をとってしまった僕でした。
なのに、叱られませんでした。何も言われなかったのです。
自分がやったことの正誤は、自分で考えなさい。本当にその行動は正しかったの?
そう言われた気がする母の沈黙でした。
悲しげで、でもホッとした母の顔と、次の集金先に向かうちょっと怒ったような後ろ姿と、自分がやったことの反芻と反省で、頬に当たる雪の結晶が痛かった記憶が、強く残った出来事でした。
それから。
まだあります。みなさん。大丈夫ですか?
(うなずく会場)
ありがとうございます。続けますね。
時系列になっていなくて申し訳ないのですが、次は僕が小学校4年生の時のお話です。
つづく
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