<昨日の日記>の続き
今回は、いじめ問題に突入じゃよ。
全国でこの問題はいまだになくならないし、子どもだけのものではなく、大人社会でもある。どんな人間でも、その渦中に入る恐れがあり、入ってしまったら心が破壊される。
中には、元に戻ることのない壊され方をしてしまう場合もある。
身近にあって、今なおこの社会から消えない「いじめ」は、くまさんの心を少しずつ蝕んでいく。それを救ったのは、3人の友人とその仲間達と、母の手料理だった。
まずは、その経緯からどうぞ。
中2はもう、食べ盛り育ち盛りでまあよー食べましたわ(笑)縦には伸びず、横にばかり広がっていく段階でしたね。見た目、まんまるでした。当時描いた自画像も残っていますが、福々しいパンパカパーンな顔。
ということで、幼い頃からの相変わらず僕はのろまな亀でして、いつものんびり生きておりました。
ある日のこと。清掃の時間がやってきました。机を一旦教室の後ろに下げて、前を掃除し、前が終わったら机を前に移動させ、教室の後ろ側を掃除するのが、その中学校の習わしで、力のある男子が机を下げる役割ということで、僕も机を持って後ろを見ずにバックで下がっていたら、誰かにドンと当たってしまいました。僕は、
「あ、ごめん」
と振り返り、Jくんに謝りました。
笑顔で。
厳密に言うと、地顔がこういう感じですので、笑っているように見えたらしく、
「お前、人にぶつかっておいて笑ってるってなんやーおい!」
となったわけです。それを聞いて、僕もダメですねえ。まるで、ドラマで肩がぶつかって因縁つけているチンピラみたいな言い方だったもので、つい、本当に笑ってしまったのです。
Jくん、キレましたね。僕の左の頬にパンチを喰らわせました。いえ、それが全然痛くなくて。人を殴ったことのないJくんのパンチは、痛くも痒くもなかったのです。
でも、びっくりはしました。
父親に叱られる時、頬を引っ叩かれる痛みの方がはるかに痛かったので、頬が強くなっていたのだと思います。おそらくJくんの右手の方が痛かったはずです。
僕は、Jくんにもう一度謝りました。後ろを見ていなくてごめんねと、これから注意するねと、痛そうにしている右手を気遣って本当にごめんねと。
しかし、その謝り方が気に食わなかったみたいで、その日の放課後、呼び出されました。この中学校の呼び出し場所は、職員室から見えない自転車置き場でした。
そこには、Jくんの仲間である、Iくんと、Kくんが待っていました。違うクラスの男子で、別名「龍」さんと「虎」さんです。学ランの後ろにそれぞれ龍と虎の刺繍があって、この二人にしか許されていない彫り物(刺繍)だったと後から聞きました。
僕は、不良と呼ばれるグループからは縁遠い存在だったので、そのあたりの礼儀も知らず、どーも初めまして。などという、仁義もへったくれもない挨拶で、二人をずっこけさせました。
さすがはリーダー格です。二人とも笑顔でした。
特に赤いシャツのKくんは、
「お前、全然気に食わねえ。俺にはなんか許せねえ」
と韻を踏んだラップ調で脅してくるので、おかしみがあって可愛いとすら思ってしまいました。僕はまず、この二人にボコボコにされました。いわゆる、不良たちからの禊をもらったわけです。
Jくんは、ぼこぼこタイムが終わった後、Iくん、Kくんが戻った後ですね。僕に声をかけました。
「痛かったやろう」
と。
正直言うと、よくわからなかったので、ううん。大丈夫。痛くなかった。
と答えてしまったから大変。
これで終わるはずだったものが、終わらなくなってしまったのです。
僕というアホは、どれだけ叩いても殴っても平気な奴で、どんなことをされても笑っている奴で、誰が何をしても許されるから、スッキリしたいならアイツを殴ればいい。
というおフレが出たみたいで、そこから毎日、いろんな教室から出張してきた名前も知らない人たちに殴られ続けました。
ついたあだ名が、「サンドバッグ」。
うまいもんです。っていうかそのままですね^^
殴られるたびに、僕は声が出ます。
「ああっ」「う」「ひぅ」「オリぇ」「むぎ」「だもぇ」などなど、どうせ殴られるなら、殴る人を楽しませてあげようと思い、殴られた時にどんな声を出せば相手が喜ぶかを密かに研究しました。
というか、そうでもしないと、心が折れそうになっていったのです。
はっきり言えば、学校に行きたくなくなっていったのです。
どうして自分ばかりがこんな目に遭わなくちゃいけないのか。
そう思えば思うほど情けなくなっていきました。
先生はこの流れを知っていました。しかし、僕がヘラヘラと笑っていたので、心配はしていなかったそうです。あ、それは同窓会の時に聞きました(笑)その頃の先生は、大変でした。40人以上の生徒で、1学年のクラスが10クラス以上あるマンモス校。2年生の担任の先生は精神注入棒という棒(先生自身を守る棒)を使ってバシバシ生徒を叩きまくる方だったので、いわゆる暴力はOK状態。でしたから、僕がターゲットにされると、OKが出ている暴力を使ってのいじめは、良い吐け口として存在OKだったわけですね。
たまったもんじゃあありません。
クラスメートは、僕が殴られているのを見て、毎回、何も言えず、僕も心の中で何も言うなと唱えていました。もし僕が辛そうにしてしまい、みんなに助けを求めた瞬間に、助けられない自分を責めることになるし、もし正義感を出して表に出ようものなら、ターゲットが変わってしまいます。そうなると、みんなに迷惑がかかってしまいます。
ただ、笑いながら、奇声を発しながら耐えました。
どんな状況か、お伝えしておきましょう。
まず休み時間になると僕を逃さないように、見張りがつきます。授業が終わると、他のクラスから走ってきます。僕は体育館でバスケの練習をしたかったのです。球技大会も近かったので。でも行かせてもらえませんでした。
殴る、蹴るはいつも通りで、ひどい時は、チョークを食べさせられたり、ゴミ箱の中に入れられて首だけ出して、口にゴミを詰められたり、シューズの中に画鋲をテープで仕込まれて脱がないように抑え込まれたり、2階の窓から学生鞄や学生帽を投げられて何度も取りに行かされたり、大雪が降った時は、二階の窓からダイブさせられたり、雨の日に近くを流れる川で泳がされたり、沈められたり、学校の履き物をボロボロにされたり、持ち物検査の時に僕のカバンの中にありとあらゆるアカンものが投げ込まれていたり、筆箱が跡形もなく燃やされていたり、人間が思いつくいじめ方のバリエーションになかば感動しながらも、学校という場所が本当にいやになっていきました。
そんな時です。足の踵の激痛に見舞われたのは。
歩けないほどではないのですが、痛くてたまりません。病院に行くと、成長痛でしょう。心配いりません。
という診断でした。
このまま治らなければ、学校に行かなくても済むな〜と考えたりもしましたが、数日で治るとのこと。
自宅で、学校を休む僕と、家で内職をしている母の二人きりの日中。穏やかな日々でした。お昼には、母の
「お兄ちゃん、ご飯やよ〜〜」
の呼ぶ声に、救われました。
学校を休んで3日目。
僕の中で、学校に行くことの意味を捨てちゃおうという意識が生まれ始めました。でも、学校に行かない僕は、落伍者になって、親にも弟にも妹にも、友達にも顔向けできないことになってしまう。
でも、学校に行きたくない。行ったらこんな平穏な生活はない。もう殴られるのは嫌だ。
どんどん心のバランスを崩していく自分がいました。
死んでしまおうか。。。
そう思っている自分もいました。
すると体が勝手に窓に向かい始めたのです。
中学2年生の考えることは、大人ほどの知識もない状態じゃから浅いといえば浅い。しかし、真剣そのもので、熱い。これを馬鹿にするとえらいことになる。
くまさんの悩みは、いじめが自分で終わってほしい、他に移っていって欲しくない。家族を巻き込みたくない。全て自分の中で、終わらせて、何事もなかったように元の生活に戻りたい。しかし、そうも言っていられなくなるほど追い詰められ、学校に行くと殴り屋が待ち受けている状態。
このまま死んでしまおうか、と考えた。
しかし次回、解決していく。やはり、母心は偉大じゃ。友の心は純粋じゃ。
つづく
←前の記事 次の記事→
にほんブログ村
―――――――――――――――――――
↓くまさんのご紹介記事は ↓
↓ここから始まっておるぞ。↓
―――――――――――――――――――
本ブログ「ゾンビさっちゃんのラブ全開!」
電子書籍化されました↓↓↓
Amazon Unlimited でなら無料で購読できます。