ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

のぶさんからのメール「一瞬の出会いが人生を決める」

昨日に引き続き、のぶさんから届いた、これまた不思議なご縁のお話をご紹介したいと思います。

さっちゃんとのぶさんご夫婦は、くまさんと深く関わってからは、彼の痕跡を旅先で見つけるという楽しみを何度も体験されています。

「本気で情報を求めて歩くと、不思議と自然に集まってきたり、その当事者に偶然出会ったりするものなんです。」

と、のぶさんはいくつものエピソードを、メールでご報告くださいました。

「ね?これも間違いなく鈴木さんのことでしょう?ぜひご本人に聞いて、答え合わせしてみてください。」


と、いたずらっ子のようなメールが届くのです。

その内容がもう、本当に楽しくて、すぐにもドラマ化できそうなくらいの感動物語だったり、不思議物語だったり。。。

今日ご紹介するのも、そんな中のひとつ。

お二人が旅先で出会った、素敵なツアーコンダクター・彩さんのお話です。
のぶさんメールの抜粋でお楽しみください♪

旅行代理店に勤めていらっしゃる彩さんは、自らがツアコンでいろんなところへお客様と同行旅行をしています。私たちも、松山旅行で出会いました。以来仲良くやり取りをさせていただいております。

 
 
さて、松山でのバスの中。

彩さんは、手書きの質問フリップを用意していて、ゲームで負けた人がその質問に答える、という単純な遊びだったのですが、とうとう奇跡の質問が出てきまして、

「私の初恋」

バスの中の男性陣が色めき立って、

「いや待て、こりゃあここでそろそろ!ガイドさんの初恋話を聞きたいのう〜!なあみなさん!」

もちろん拍手喝采。彩さんも嬉しそうにマイクを左手から右手に握り換えて、しゃべる気満々に。

「まだ私が小学生の時のお話ですが。」

と第一声。それだけでバスの中は大興奮。愛ある囃し立てに照れ笑いしながら、彩さんは話し始めました。彩さんが小学生だったときのお話。社会科見学で長崎に訪れた時のことです。 

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「今でも忘れられない光景があります」

と。

 

平和公園の平和祈念像の前。どうみても、ご自身が旅行者であるはずなのに、観光客の写真を次々に、大きな声で笑わせてはどんどん写真を撮っているいるお兄さんに、ずっと見とれていたのだそうです。

一緒にいた友達が、写ルンですを持っていたので、それで撮ってもらおうよとけしかけ、その列の最後尾に並びまして、自分の順番がくるまでの間が、彩さん曰く、

 

「私の人生を決めた5分だった。」

と。

 

そして、撮影してもらった瞬間にビビビッと来たと。

極め付けは、撮影してもらった後にかけてもらった言葉で、涙が止まらなくなったと。

 

ツアー客はバスの中で、マイクを持つ彩さんの言葉を一言も逃さないようにと、シーンとなりました。

 

彼女のその表情は、旅の案内人としての笑顔ではなく、涙を溜めた真剣な顔だったからです。

 

彩さんが私たちに話したようにここに記します。

 

 

 

「今でも忘れられない光景があります。みなさんも一度はあるかと思いますが、観光地で、自分のカメラで、誰かに撮影してもらうこと。

 

ありますよね(笑)


今は自撮り棒なんかがあるからそんな光景はなくなりましたが、昔はよくありました。

 

撮って下さい、言われて断る人もあまりいませんでしたが、私が見た人は、

 

自分から手をあげて、

「撮りますよ~~!笑顔いっぱいで撮れますよ~!」

と、アピールしていた人でした。。

 

当時私は小学生で、3クラスが同じバスに乗って、社会科見学で来ていたのですが、その姿が面白くて、新鮮で、もうびっくりして、友達と一緒にそのお兄さんを遠くから眺めていました。

 

お兄さんは最初、10組ぐらいの行列を作っていて、後列の人には、

「にっこり練習しておくように!」

と声をかけながら、どんどん撮影して行きました。その、、、なんて言いますか、腰つきが怪しいんです。

こんな感じで、、(女性のお客さまがいや〜〜んと顔を赤らめるほどのポーズの彩さん)

普通そんな姿勢で写真は撮らないだろうと思う格好をするもんですから、みんな大笑い。

そして、必ず撮る前にチーズ!ではなく、今まで聞いたことのない言葉をかけるのです。

 

それだけで、撮られる皆さま方が、心から優しい笑顔になっていくのです。

私はその声と、動きと、言葉の美しさに惹かれ、いつの間にか近づいていて、その姿をずっと見てました。友達は、私の後ろでお兄さんを一緒に眺めながら、黙って待ってくれていました。

列がどんどん増えていく中、私は決めました。あのお兄さんに私も写真をとってもらおう。と。

 

友達が、写ルンですを持っています。これで撮ってもらえばいい。と思って、最後尾に並びました。なぜだか、私たち以降は誰も並びませんでした。

私は楽しみ過ぎてずっと飛び跳ねていました。

人生で、あんなにワクワクして待った瞬間はありませんでした。

その間、なんであの人はあんなことができるんだろう。汗だくになって、人のカメラで、人の笑顔を引き出して、人のスナップ写真を撮り続け、終わったら一言かけてカメラを渡す。

何を言ってるのかはわからないけど、観光客の皆さまそれぞれが、安心した表情をしたり、胸に手を当ててお礼をしたり、握手したり、ハグしたり。外国の人は、キスまでしてました。

風貌からしても、芸能人でもなく、すごく有名な人っぽくもないヒゲのお兄さんは、ずっとモテモテでした。

 

私、当時小学生ですよ。小学生なのに、「私はこの人の子供が欲しい!」と思っていました。待ってる5分間でです!自分でも驚きました。ずっとドキドキしてました。


だんだん私たちの番が近づいてくると、頭が興奮して、足が勝手にジャンプして、、

わかります?私ずっと飛んでました(笑)

人間、嬉しいとはしゃぎますけど、私は強烈に嬉しいとジャンプする人間なんだと、そこで初めて知りました(笑)

 

友達はずっと黙ったままで、私たちの番になったときに

「はいこれ。」

と写ルンですを私に渡そうとしました。私はそれを奪うようにもらって、

「これでお願いします!」

と、お兄さんに撮影をお願いしました。

 

私たちが最後だと知ると、ゆっくり汗をふいて言いました。

 

「待たせちゃってごめんね。ありがとうね。これで2枚撮ってもいい?」

 

私がいいです!と答えると、お兄さんは友達に向かって、言いました。

 

「本当に大丈夫?」

 

友達は、話しかけられたことにびっくりしながらも、ゆっくり頷きました。

 

お兄さんは期待通り、とっても明るく元気に、大袈裟な動きで私たちを笑わせてくれました。撮る瞬間、お兄さんが言った言葉は、

 

「サチアレーーーッ!」

でした。本当にいい声でした。今でも忘れないです。

 

サチアレ。という言葉、今だからわかりますが、当時は意味がわからず、みんなが笑顔になるおまじないか何かの言葉なのだろうと思っていました。

人に対して、

「幸せになるんだよ。君は幸せになる権利があるんだよ」

と一言で伝える言葉であることは、後から知りました。

 

ビビビっと来ましたね。ああ私この人と結婚するんだ。と思いました。

 

でもね。。

 

その後かけられた言葉で、それは完全に無理だってことを知りました。

 

「はい。カメラ〜」

 

といって、お兄さんが渡したのは、私ではなく友達の方でした。そしてしゃがんで、友達の顔を真っ直ぐに見て言いました。

 

「笑顔はね。最強の武器になるよ。君が本気で笑えば、誰も勝てない。誰に何を言われたっていいから、それに対して黙ることなく、あははって笑い飛ばせばいい。君は、人を幸せにできる笑顔を持ってる。」

 

友達はうなずいてました。

 

「もう笑えるね?」

 

という言葉にも、しっかりうなずいてました。そして、友達は髪の毛を揺らし、可愛く首をかしげて笑いました。

 

私に対しては、

 

「友達っていうのはね、かけがえのないものなんやからね。この子を全力で守ったらなあかんで!この子の笑顔を引き出すのは、君やからね。絶対に笑顔を奪ったらあかんで。でもな、君のその純粋な気持ちがあったら、もっとたくさんの人たちを幸せな場所に連れていけるでな、周りの人を大切にするんやで」

 

だったのです。なぜか私には関西弁で。

 

私は、すぐに思いました。この人とは結婚できない。。。



そう。バレてたんです。



みなさんにもわかっちゃったかな。私、その友達をいじめてました。

そんなに強くじゃなかったんですよ。

その子のこと、可愛かったんです。本当に、笑うと可愛くて、なんか悔しくて、勉強もできるし。でも、おしゃべりがゆっくり過ぎてじれったくて。

でもほっとけなくて、でも憎らしくて。

そんな私のことを見透かして、お兄さんは私たちに大きな宝物を渡して、去っていきました。

 

私はその後、大泣きして。友達に謝りました。

今までのこと。自分が嫉妬してたことや、友達のペースに苛立ってたことや、自分のことばかりで他の人たちのことなんて、何にも考えてなかったこと。

でもそのおかげで、友達も、私も、180度、関係性が変わりました。お互いを大切にし合える存在とでも言いましょうか。

 

その友達とは、今でも大親友で、私の弱いところを今でも笑い飛ばしてくれてます。

 

あの時の話は、何度もしました。おのお兄さんは今頃どこでどうしてるんやろか。あの人がおらんかったら、いまの私たちはないねえと、話します。」




と言って彩さんは、少し顔を歪めて涙を拭いました。

その後、マイクを離して、「私、あのお兄さんに会いたい。会ってお礼が言いたいんです」と声を震わせていました。



二人を撮影したのは、いかにも人の良さそうなバイク旅のお兄さんだそうで。オレンジ色のヘルメットを持っていた、という目撃証言も掴んでいます。



話の間、車内はずっとシーンと静まり返っていましたが、その姿を見て、割れんばかりの拍手が巻き起こりました。誰かが、「会える会える!どっかで会える!」と無責任なことを言ってましたが、浅草で会えることを昨日伝えておきました。

 (※くまさんの浅草人形劇ステージ前のお話です)

 

もし行けたら友達と一緒に行きますと言ってました。仕事が入っているみたいですので、難しいかもしれませんが。今頃飛び跳ねているのではないでしょうか笑

 

その旅行が最後まで素敵なものになったことはいうまでもありません。私たちを、幸せいっぱいな気分にさせてくれた彩さんは、見事に鈴木さんの教えを守っていらっしゃいました。

「お客様とのご縁は、かけがえのないもの。全力で守るべき存在。笑顔を引き出すのは私。絶対に笑顔を奪わない。私の純粋な気持ちで、もっとたくさんの人たちを幸せな場所に連れていく。周りの人を大切にしながら」

 

旅というものは、一瞬の出会いの連続です。

 

その出会いが、人の一生を決めてしまう事実。

 

毎度感動させられます。

 

鈴木さんの奇跡は、まだまだ続きます。

 

おそらく、浅草でその人形劇に出会ったおかげで人生が変わっていく人もいらっしゃるでしょう。素晴らしいですね。

 

エピソード中に登場する「オレンジ色のヘルメットを持った、バイク旅のお兄さん」=くまさん。

そう、「また会えたときに」で登場する、あの青年です。

ドラマ中では、5つのエピソードをオムニバス的に語っていますが、実際には今回のお話のように、青年の旅の中では、まだまだたくさんの出会いがあって、たくさんの奇跡が生まれていたんですね。

そうして、大人になった彩さんが、更にたくさんの人にこのエピソードを語るたびに、また新たな奇跡が生まれているのかもしれないと思うと、まさに一瞬の出会いの重みを感じずにはいられません。

のぶさんが、彩さんにご紹介している「浅草」というのは、2018年3月に、くまさんが浅草東洋館でおこなった人形劇舞台のことです。こちらの動画でぜひご覧ください。^^


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さっちゃん脚本による「また会えたときに」

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<YouTube で全話配信中>

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<SoundCloud はこちらから>
ご希望のシーンからでも、タイトルをクリックして視聴できます。

また会えたときに【1話から順番に再生されます】 on SoundCloud


<Podcast はこちらから>

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