一途の歌詞は、絵本になるレベル。
温かい絵を描いて、そのまま歌詞を乗せていくだけで、本になる。
吟味され尽くした文章が、子どもたちにもわかりやすく表現されておるからそれができる。
さらに、大人にしかわからんロジック(繋げてわかる隠しストーリー)も入れ込んであるから面白い。
まずは聴いてから、歌詞を読んで欲しい。そして、この中に隠された秘密を紐解いて欲しい。
ダウンロードはこちらから♪
(ダウンロードするときは、上にあるアイコン(下向き矢印ボタン)をタップしてくだされば聴けるはずじゃ)
【証】
家族になるために 生まれてきたよ
いたみこらえて産んでくれたの知ってるよ
全部全部ありがとう
いろいろ悩んだのも感じてきたよ
それでも何より一番に思ってくれたね
全部全部ありがとう
この足でどこを歩き
何を目指そう
この目に何を映し
何を話そう生きる証を探そう
この星にいる人全て
愛ある人から生まれた
この世界においでと願われ
踏み出すことを選んだ未来を輝かせるため
この胸で何を感じ
何を残そう
この腕で何を抱き
何を創ろうこの声で何を歌い
誰と踊ろう
この指で何を描き
何を掴もう
生きる証を探そう
探そう
生きる証を
探そう
皆様気づかれたことじゃろう。この証(あかし)という曲には、冒頭から、音源に「鼓動」の音が使われている。
おそらくこれはお母さんのお腹の中の鼓動。
まだ生まれきていない子の心臓の音じゃと思う。これが前奏になる。
そして続く、まず最初の歌詞。
「家族になるために 生まれてきたよ」
に繋がる。
うまいなあと感心する。心音の主(赤ちゃん)が、自分で「生まれてきたよー」と報告しとるわけじゃw
さらに、
「痛みこらえて産んでくれたの知ってるよ」
ときたもんだ。なぜ痛みがわかるのか。なぜ知っているのか。ここじゃ。
つまり、自分が生まれることを前からすでに知っていて、生まれる瞬間のことも実はわかっていて、ということは、お母さんの顔すらもわかっていたということになりゃせんか?
つまり、「お母さん、あなたから生まれて来たかったから、生まれてきたんだよ〜」と言っている。
「色々悩んだのも感じてきたよ」
これも、お腹の中で見ていた。もしくは魂レベルでお母さんを観察していたっちゅうことになるわの。
でも、一番に考えてくれていたことに感謝している。
赤ちゃん目線を超えて、魂目線で書かれた歌詞になる。
ここで驚愕した。こんな目線で歌詞を書く人は、神じゃ。
生まれ落ちて重力を感じ、それに耐えながら自らが成長し、自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の口で話すこと、そうやって「生きる証を探そう」とするのが人間なんじゃな。
一番だけであたしは、感動の嵐。
そして二番。
愛ある人。とは、自分を産んだ親を含めた全人類を指し示す。この世界においで〜と言っているのは、自分を産もうとしてくれる母と、その周りの人たちになる。
みんなで支え、愛するからこっちにおいで〜と呼ばれたから、一歩踏み出すことを自分で選んだ。
ということになる。
この胸。つまり心で、何を感じ、何を残すか。
つまり、死ぬまでに自分は何ができるか考え続けるということ。
この腕で。つまり技術を身につけて、それを抱き。
つまり、伝統の技術を大切に守り育み、何を創るのか。
この声で何を歌い。
つまり、声を出して人とのコミュニケーションをとり、表現し、お互いを認め合い、
誰と踊ろう。
つまり、認め合えた二人で手を取り合って仲良く踊ろう。言うなればパートナーを見つけようということ。
この指で何を描き。小さな指だとしても、自分の中にある何かを描くのは指。
つまりその指で、新しい挑戦をして、何かを掴めるようになればいいということ。
生きる証は、自分の心と体を使い切って見つけるもので、誰かに与えられるものではない。
鼓動が続く限り、死ぬまで私たちは、探し続けるんだ。
ざっと歌詞を読み解くとこうなる。
人生って、面白いもんで。生きる証は、探し続けにゃおえんということか。いやはやそれがしんどい人もおるし、はたまたそれを楽しいと思う人もおる。それぞれじゃ。
ああ。面白いといえば、
あたしの母。瑩子(えいこ)じゃ。ほんにまあ、自由でおおらかな人じゃった。父とは正反対の性格で、とにかくずぼら(に見える)。
母ならこう言うじゃろう。というイメージが簡単にできてしまうほど、いつもその考え方がシンプルで、スカッとする言動で周りをビビらせておったもんじゃ。
あたしは、そんな母が大好きで、子ども心に、大人になったらお母さんみたいに生きよう。。と心に決めておったほどじゃ。
あたしにとってのメンターであったことは間違いない。
例えば、
「お母さんの生きる証って何?」
と聞けば、こう言うじゃろう。
「買いモンかにぃ。ンフ。今からいかーか?(行こうか?)」
即答じゃろうな。いつも「今」を生きておった。昔のことはすぐに忘れたし、先のことは全く考えず。
父はいつもどこか不安そうで、まだ起きていないことを考えすぎていつも猫背。母のあっけらかんとした前向き人生の真逆。
母はいつも堂々として生きていた。
亡くなる時も、あっけらかんと逝った。
意識がなくなって、最後の最期。病院のベッドで、あたしが駆けつけた時じゃった。
「ああ、おかえりー」
と母の声。空耳かと思った。意識がなくなっていると聞いていたが、戻ったのかとも思った。
しかし、目はつむったまま。
やはり空耳か。。。
と思ったら今度は
「さちこー」
といつもあたしを呼ぶように、こを伸ばし気味に言う。
「お母さん!」
あたしは母に飛びついた。手を握り、お母さんと呼びまくった。
『あたしがわかる?わかるなら目え開けて!』
そしたら目を開けずに言い放った。
「さちこうるさあい。銀座通りいかんのかなー」
「えっ?」
あたしはそこで初めて、別れを覚悟した。涙が止めどなく流れ落ちた。
飯田の町には昔から「銀座通り」と呼ばれる繁華街があった。子どもの頃、あたしはそこにいくことが大好きで、母に連れて行ってもらうのが楽しみじゃった。あたしが駄々をこねたり、わがまま言ったりすると、銀座通りに連れていかんぞと脅されたもんじゃ。そんなことになったらあたしは気が狂うと思っとったから、すぐに大人しくなった。
母にとっては、あたしが幼い子どものままなんだ。いつまでも、あたしはこの人の娘なんだ。そっか。あたしはあなたにずっと愛されてきたんだね。
そう思うと、涙が止まらず。思い出も溢れてきて。
それなのにあたしは、この人に何も返しとらん。
まだ逝くな。まだあかん!お母さん!!お母さん!!と念じたが、母の鼓動は止まってしもうた。
「さちこーーーお」
が最後の母の呼ぶ声になった。あっけらかんとした顔で、苦しむこともなく、安らかに、寝言を言いながら逝ったわけじゃ。
あたしがいることがわかってあたしの名を呼んだのか、夢でたまたま見ていたのかはわからんが、名前を呼ばれたのが妙に嬉しかった。 きっと、あの人の生きる証は、アタシじゃったんやろうと、今なら思える。
いつも一緒に笑っていた母を思い出すと、ずっとあたしを見て笑っていた。ずっと、あたしを見てくれていた。あっけらかんと、ごく自然に、さらさらと愛してくれていた。
本当は、心配でたまらんかったじゃろうに、あたしの全てを認めようとしてくれた。
あっけらかんとしとったのは、そう見せているだけやったのかもしれん。
愛の呪縛であたしの自由を奪いたくなかったんかもしれん。 おかげでゾンビになれたw。
お母さん。もうすぐ会いに行くぞ。最後まで、しっかり務めてから行くぞ。
そしたらまた一緒に手を繋いで、銀座通り。いこな(´∀`)
〜ゾンビより、一途な愛を込めて〜