ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

一途論 21 〜 ここにおいで 〜

この曲に関しては、何度かこのブログで紹介させていただいているので、改めて論じるのはどうしようかと迷いに迷って今書いている。

山里先輩が大好きだったこの曲。

あなたに渡したいもの 
<参照記事>⇨

 

聴けば聴くほど、口ずさめばずさむほど、涙が溢れてくる名曲じゃ。

「愛を空に放ち 雨に降らす」

音読してみてよくわかる。みっこちゃんの歌詞こそに、愛がある。


 美しい言葉の中にある、人へのまっすぐな愛情。この一文をとってみても、歌詞というものは、削ぎ落としてこそ生きてくる芸術であることがわかる。

まず一途の曲の成り立ちは、みっこちゃんが誰か一人にインタビューをして歌詞を作る。メロディーはお兄ちゃん二人の担当。歌詞を作る際、さまざまな質問をみっこちゃんはこの主人公に投げかけておるはずで、なぜあなたはそんなに愛をもって人に接することができるのかを根掘り葉掘り。

例えば、

「愛を空に放ち」

というフレーズが生まれた過程を考えてみるに、根掘り葉掘りの後、埋まるほどのキーワードを繋ぎ合わせていくうちに、この人の無限の愛情に気づいたのではなかろうか。

無条件に人を大切に思う、底抜けの優しさと、苦しんでいる人がいれば放っておくことができない異常なほどの情け深さ。

なかなかそんな人はこの世に存在しないが「ああ、ここにいたんだ。。」という感動もちょっぴり入っている気がしてならない。

人を大切に思う気持ちとか、全ての罪を許す心とか、世界の平和を祈る想いとか、それら全てを愛と呼ぶなら、それをある一定の誰かに渡すとか与えるとか、ではなく、この人は、広大な空に向かって解き放っている訳で、もうなんというか、ダダ漏れ状態で愛を放出しているwということになる。

で、それが雨になって誰かの元へ、恵みの雨となって温かく降り注いでいく。つまり、

「愛を空に放ち 雨に降らす」

という歌詞になる。


さらに突き詰めていくと、タイトルの

「ここにおいで」

これまた秀逸での。


ちなみに皆さん。

「ここにおいで〜」と言ってくれる人、あなたの周りには果たしているじゃろうか?

世知辛い世の中、危険がいっぱいのニュースが蔓延るこの時代に、ここにおいでと言ってくれる人よりも、こっちくんじゃねえ的な人が多くなってはいないじゃろうか。

できる限り人と交わることをせず、できるだけ一人で完結させたくて、自分の世界を構築して楽しむことでしか生きることができなくなってはいないじゃろうか。

それは、人を信じることが難しくなっているからに他ならない。人を信じれば裏切られる。騙される。蹴落とされる。利用される。たまったもんじゃない。

この人は言う。


悲しい思いをしている人、ここにおいで〜

寂しい思いをしている人、ここにおいで〜

辛い思いをしている人、ここにおいで〜


って、どんだけ受け入れ態勢整ってるんじゃろうか。

まるで病院のことを言っているような歌詞。


山里先輩もこの曲が大好きで、

「これを聴くとあの人(くまさん)を思い出すんよ。」

と、晩年までヘビロテで聴いていた曲じゃ。

看護師から医師になった山里先輩は、患者さんと向き合う時、必ず笑顔で迎えた。

患者さんが病院へ、苦しみ、悩み、辛い思いをして来ているのは当然で、不安や恐れに包まれている人の心をまずどうやって開かせるか。

そんな話を、仕事が終わった後、酔ってぐだぐだになりながら語り合った覚えがある。

いろんな意見が交って、熱くなったあたしたちの心を鎮めてくれたのもこの曲。CDラジカセに永遠にセットしてある一途のCD。この曲をかけ、二人でしみじみ聴き、二人でポタポタ涙を落とす。


「結局これやけぇ。これしかない。ここにおいで。君の痛みを見せてーって、寄り添うしかない。全てはそこから始まって、助かる道を一緒に探していくしかない」


ゾンラブを繰り返し読んでくださっている皆様にはおなじみの曲じゃが、もう一度聴いてくだされ。


♪【ここにおいで】

ダウンロードはこちらから→「ここにおいで」

♪ここにおいで

作詞作曲編曲 一途

ここにおいで 話を聞こう
君の痛みを見せて
そばにいよう心弾むまで
悩みに羽をつけよう 君が望むなら

愛を空に放ち
雨に降らす
届け憂いの君の元へ
溢れるまで降り続けよう

ここにおいで 抱きしめよう
君の悲しみもすべて
手を繋ごう心休むまで
道をともに探そう 君が望むなら

言葉にメロディをつけ 
風に乗せて
届け 涙の君の元へ
満たされるまで歌い続けよう

そして日が昇ったら
見つめあい言葉を交わし
花咲くように笑う君を見よう
そして日が沈んだら
世界と隣にいる君に
思いを馳せるよ 祈るように


愛を空に放ち
雨に降らす
届け憂いの君の元へ
溢れるまで降り続けよう

ここにおいで ここにおいで ここにおいで
ここにおいで ここにおいで ここにおいで 

ここにおいで

 

何度聴いても、良い曲は、何度だって沁みる。

心に浸透する。

浸透したものが、浄化されて涙になって出てくる。


涙は心を浄(しず)める

絡んだ穢れ払い落として

焦げ付いた傷洗い流せば

新しい階段が見えてくる


これは、オットが大好きだった曲、一途の「涙のプリズム」の出だしじゃな。

<参照記事>⇨

これも続けて聴いてほしい。


♪【涙のプリズム】
 

ダウンロードはこちら→「涙のプリズム」♪

な。スッキリするじゃろう?この曲は、カタルシス。浄化の曲じゃよ。

スッキリしたら今度はどうしたくなるか。人は、動きたくなるもんじゃ。自分なら何かしら人の役に立てる何かができるかもしれん。小さな力しかないけど、無力ではない。

動こう。やってみよう。失敗してもええやん。いくで!進め!泣いてもいい。むしろ泣きながら笑って進め!

そうなったらしめたもん。

となると、この曲しかない。

♪【Like a Dragon】

ダウンロードはこちら→「Like a Dragon」♪

<参照記事>⇨


あたしの中のセットリストは、この3曲。いつも必須。いつも一緒。

これだけ毎日病院で過ごしていると、飽きるほど自分を見つめることになる。それが趣味になってくる。自分という人間は全然完璧じゃないってことが嫌というほどわかる。反省して、ため息をついて、昔の後悔を思い出し、自分にがっかりし、うーんうーんと悔やみ倒す。

そこでまず、ここにおいでを聴く。泣く。涙のプリズムを聴く。まだ大丈夫と奮起し始める。Like a Dragonを聴く。完全復活!

という流れで、心のバランスが整っていく。

一途の曲というものは、おそらく好き嫌いが分かれる。

聴く人によって、響くものと響かないものがある。それでいいんじゃ。もしくは、たった一曲だけが自分に迫り来て包み込んでくれたりもする。不思議じゃのう。

さて皆様、長々と書いてきた一途論も終盤に差し掛かって来ておる。

あと数回を残し、最後の力を振り絞って書いておるところじゃが、自分の精力の衰えを感じざるを得ず、弱気になることも多々ある。つまり、記事を書くことがなかなか進まずにいる。

またしばらくお待ちいただいて、昔の記事などでお楽しみいただきながら、どうぞ健やかに、笑顔でお過ごしいただければ幸いじゃよ。

皆様からの祈りのパワーをいただきながら、命を永らえさせていただいておる今、ブログを書くことだけがあたしにできる唯一の感謝の表現になる。

ご理解をいただきながら、楽しみにお待ちいただけると嬉しい限りじゃ。

ではまた、次回。


〜ゾンビより一途な愛を込めて〜