ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

辞去の礼 

これを皆様が読んでくださっているということは、あたしはすでにこの世にゃおらん。こうしてパソコンが使えるうちに書いておかねばならんと思い立ち、静かに入力しておる次第。

まず皆様。ようこんな婆さんに長らくお付き合いくださった。今にも死にそうなのに、なぜかぴょこんと生き永らえるゾンビ的さっちゃん。

ずっこけた方もいらっしゃるじゃろうw

「っておい!まだ死なんのかいっ!」

ふふふ。しぶといあたしは、皆様の心配と愛情を弄びながら、感謝しながら楽しんだぞ。おかげさまで、本当に幸せな人生じゃったよ。

一人一人、名前を挙げてお礼を言いたいところじゃが、ここは一つ。あたしの想いを皆様にお伝えすることによって、別れの挨拶とさせていただきたい。

みなさん。生きてくだされ。

生きて生きて、あたしのようにしぶとく、諦めず、最後の最期まで足掻き続けること。

これこそが、人間の証。

格好つけて死を急いではいかん。

格好悪くても、醜くても、心は気高く、自らが自らを誉めてやれるくらい歩き続けることじゃ。それを見た周りの人間はどう思うかを考えることじゃ。

この苦しみからなんとか逃れたい。早く楽になりたい。そう思うのはようわかるぞ。あたしなんか何度考えたことか。ナアスを何度も苦しめたよ。ダメだとわかっていても安楽死を望んだからのう。

その度に、自分本位な考え方を反省し、どうすれば自分の命をこの状態で輝かせることができるかを考え続けた。

そして記事を書き続けた。

命が消えるまで書こうと決めた。

もしも絶筆になったとしても、続けられるようにするためにはどうすればいいかも考えて、人に頼んだ。

じゃから、このブログはあたしが死んでも続くようになっておる。

ゾンビの世界からの記事を公開できれば、それはそれで面白いじゃろう?

死んでいるのになぜ記事が!?

という驚きと心地悪さで、人々を恐怖と癒しのるつぼへと誘うんじゃ。ヒッヒッヒ。

話を戻す。

命が終わろうとしているこのあたしを、心の底から支えてくれている人たちに申し上げたき儀がござる。

あたしはこうして偉そうに書いてはおるが、一般的に見ればごく普通のBBAで、病気でワガママになって、周りを翻弄しながらほくそ笑んでいる底意地の悪い人間じゃ。しかし、そんなあたしを「大好きだよ」と言って憚らない人がおる。

どんな暴言を放ってもそれを許してくれて、受け止めてくれて、それを学びと変換し、行動に変えて、良い結果を報告してくれる人がおる。

あらゆる不安と心配に苛まれて、あたしの心も不安定になり、小さなことでヒステリックになり、それをぶつけてもぶつけても壊れない人がおる。

自分も苦しんでおるじゃろうに、あたしの苦しみを真っ先に考えてくれる人がおる。

夜も寝ず、心を尽くして、あたしのために祈り続けてくれる人がおる。

なんと幸せな人生じゃろうか。

なんともったいないことであろうか。

あたしなんかのために、心を動かして、時間を使い、愛を注いでくれる人がおる。

あたしが反対の立場だったら、それが果たしてできるだろうか。と思う。

それほど、温かい心尽くしをあたしに対してしてくれる人。

あなたのおかげで、あたしは、ここまで生きられた。

あなたが次にすることは、あたしだけではなく、もっともっとたくさんの人々を救っていくことじゃよ。

一人も万人も同じじゃ。

たった一人のために、これだけの想いを馳せ、喜ばせ続けたことを、そのまま展開してやってみればええ。

同じことをすればええ。

人の心は鼓舞され、癒され、開かれ、愛されて有頂天になる。そこで本当の自分を発見し、自分の本気を発揮できるキッカケが生まれていくもんじゃ。

あたしがそうだったように。

そうなれば、いずれ死が近くなると、この人生が最高だったと思える瞬間がたくさん訪れることになる。

その時はあまりわからんもんじゃよ。それが最高だなんて。ただただ苦しいだけかもしれん。

じゃが、それはまるで映画のワンシーンのような感覚で、後から振り返ることができる。映画の主人公はたいがい、心が折れたり、大怪我したり、絶対に越えられそうない岸壁をよじ登ったり、助かる見込みのない場所からダイブしたり。

信じられんくらいのバイオレンスで見る人をハラハラドキドキさせる。

散々苦しんだ主人公にはちゃんと出会いがあって、登場する師匠的存在に助けられたり、一生のパートナーに出会ったり、人と喧嘩したり、仲間同士で苦しめあったりして、結局お互い成長しながら目的地に向かう。

最後は、それらの経験を全て活かして、目標達成。

映画は、俯瞰してみれるから面白いし、結果が良いならば安心して見られるし、結果が悪かったとしてもどうせ映画だしと、納得できる。

最後は、「ああ、よかった」で終わるのが人生なんじゃ。

どんな人生であったとしても、それはその人が主人公で生きた映画になる。死に際になって初めて観ることができる映画。

思い返せば恥ずかしいことばかりの人生じゃが、映画として見るならば、それはもうエンタメじゃ。

楽しんで自分の映画を観終えた後は、肉体を消し、魂を天に還すだけ。

そう簡単に割り切れないものもあるが、それは仕方がない。

命というもんは、いつか終わるんじゃから。

終わるその直前まで、主人公は諦めないもんじゃよ。諦めた時点で、映画も終わってしまう。観客は、溌剌と動く主人公の成長する姿を見て、我が身を振り返り、奮起して家路につき、また明日から頑張れる。

とするならば、演者は見る人の未来を見据えて演じ切らねばならん。

つまり、自分の生き様が誰かに観られていると思って生きねばならないということじゃな。もっというと、お天道様はお見通しってことじゃ。

最期まで、諦めんかったあたしは偉かった。皆のお支えで、自分を信じて生きられた。生きようと決めたこと、それを人に宣言し実践すること、結果は大成功。余命を1年以上も延ばし、やれることを全部やって死ねる。

ありがたくてありがたくて。

これまでこのブログを愛してくださった皆様に、幸多かれと祈りつつ、天より授かる恵み多かれと念じつつ、あたしはのんびり地獄見物(ゾンビじゃからのw)へと行って参るぞ。

次回からは、遺作の発表になるからの。死者からのブログ記事じゃ。

皆様。引き続きお楽しみくだされよ。

あたしの人生は終わったが、皆様の人生はこれからじゃ。

いいことも悪いこともひっくるめて、楽しみ尽くしなされ。


〜ゾンビより一生分の愛を込めて〜