ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

オットのこと

あたしは、バツイチで、連れ子がいて、毎日忙しすぎて、女性としてのタシナミを全て無視して生きていたの。離婚した直後なんて、自分の存在すら認められないくらい。

自分を責めて、去っていった元旦那を責めて、気を使って優しくて可愛くて何も悪くない娘を責めて、毎日とにかくすさんでいたわけ。

そんな時、あたしが勤めていた病院に、入院してきた人がいて、、

それがのぶさん。

あたしが喋りかけても、声がでない(声帯の病気)もんだから、うなずくか、いやいやするかのどちらかで、やけにそれが可愛かったんじゃあ。

運命の7日間に交わした言葉は、ノート2冊分!薄いノートだけど、ラブレターの集大成❤️

のぶさんは大学ノートに筆談。あたしはそれに対して答えたり、読んで笑ったり、泣いたり、怒ったり。


あたしが前日話した内容が4コマ漫画になって返ってきたり、クイズが入ってたり、自分が体験した怖い話や、面白い話、自分の夢の話、あたしの未来の話。。。

度肝を抜かれたw

一度も声を聞いたことのない人に、完全に惚れたw

 

内容は恥ずかしゅうて載せられんけど、こんな感じじゃ( ^ω^ )

 

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右上の日付が重要

1988,5,26

 

この日から、始まった。

あたしはこのノートに救われた。何度も読んだこの30数年。あたしが、あたしのままでいいってことを、何度も確認できた。

あたしがどれだけ愚痴っても、どんなに横柄でも、理不尽にガチギレしても、のぶさんはこの時から亡くなるまで、全く変わらなかった。

全ての愚痴を聞いてくれて「あなたは悪くない」と必ず味方してくれた。横柄な態度にも、そうなってる理由を突き止めてくれた。ガチギレしてても微笑みをたやさず、全力で静かに共感してくれた。

何度も思った。

この人、好きやわっ・・・て

こんなあたしを認めてくれて、泣いてる時は抱きしめてくれて、怒っている時は棘を抜いてくれて、楽しんでいる時は思いきり一緒にはっちゃけてくれて、何よりもあたしの延々話を面倒くさがらず聞いてくれた。

退院の日のことは今でも忘れない。

やっと声を出していいですよ、とドクターに言われて、出した言葉が、

 

「さちこさん。たくさんお世話ありがとう。これ、差し上げます。」

で、その声が完全に裏返っていて、子どものように可愛くて、全然かっこ良くなくて、しかもノートを差し上げるって言ってるし。。。

この人とずっと一緒にいたい。離れたくない。午後には退院やからあと2時間もないやんかい。ああ、ああ、ああああああ

と、思ってたらポロポロ涙が溢れてきて、止まらんようになってしまい、のぶさんがでぇれぇびっくりした顔で、そんで優しい顔で、でまたノートを渡そうとするからなおさら泣けて泣けて。

でもって、のぶさんがノートのページの最後を開いて見せようとしているのがわかって、涙を拭いてその文を読んだとたん、またびっくり。

さちこさんに、僕のふるさとを見せてあげたい。埋め立てられてできた街だけど、里山が残された素敵なところ。くる?ああ、そして僕は、さちこさんのふるさとに行ってみたい。飯田はどんな星が見えますか?どんな川が流れていますか?どんな空気の味がしますか?あなたが育ったところに行ってみたい。

 

そんな文章が綴られていたんじゃ。つまり、また会いましょうってことやった。あたしは首がもげるくらいうなずいて、その半年後、娘と一緒にのぶさんの元へゴールイン。

娘はさすがあたしの子。のぶさんの魅力を初日で見抜いて言ったからね

娘「のぶさんのこと、お父さんって呼んでいい?」

私「ええっ!呼べる?すぐに?」

娘「だって、こんなにええ人、おらんよお母さん。な。」

 

最後の、な。の意味は、すごく深くて愛があった。つまり、絶対に逃すんやないでお母さん。という意味。

紹介したその日に、お父さんと呼ばれたのぶさんは、娘のことをみぃちゃんと呼び、それからずっと変わらず、最初から親子だったかのような二人でいてくれた。

その姿にまた泣けて。



オットとの出会いから、再婚まで。

あたしの思い出。

永遠の宝物。

二人とも、ずっとずっと愛してるよー

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