山里さんの息子さん、和茂さんの奥様、美奈さんからのメールを読んだ時は、あたしの全毛穴が全開した。
「鈴木さんに早くこれを読ませてあげて!」
とせっつくあたしに、まあ落ち着けというジェスチャーで、もっと効果的に楽しませるには、まずみぃさんに伝えてからじゃ、という不敵な笑い。
そうです。オットは、福井のみぃちゃんのことが大好きで。。
彼女から返ってくるメールの返信がいつもラブリーで素敵だったので、鈴木さんよりもみぃちゃんを喜ばせたい衝動で何事も綿密に企てていた節がある。
確かに、そっちの方が面白いじゃろうて。
たとえ鈴木さんに伝えたとしてもそれはそこで終わってしまうもの。あの人はそれを人には言わない。じゃから、こうやって第三者に伝えることで、その面白さが拡散されていき、それによって救われる人も出てくるってもんで。
なるほど。
さすが我がオット。
遠謀のプロじゃw。
それを引き継ぐあたしもセミプロじゃ(・∀・)
さて、前回の続きね。お待たせしてすまんの。
美奈さんからのメールでスタートじゃ。
・・・・・・・・・・
のぶ様
美奈です。いつも主人がお世話になっております。先月のお祭りでは藍染のランチョンマットをご購入頂きまして、ありがとうございました。自信作でしたので、とっても嬉しゅうございました(嬉)
さて、昨夜。あのお電話のあと、お義母さんの遺品を二人で紐解きながら思い出話をしていた時に、私、見つけてしまったんです。
鈴木さん、というお名前をインプットされて探し始めると、見つかるものですね!
初め、点字シートの数があまりにも多くて気が遠くなりましたが、不思議です。パラパラとめくっていくと、そのシートだけが、私には光って見えたのです。。
天国のお義母さんが教えてくれたのかもしれません。
大量にあったノートやメモ自体はもう全て処分してありましたが、当時主人が点字ボランティアさんに依頼して作っていただいたファイルの中に隠れていた、この点字シートの内容全てをテキストに訳して、ここに記します。
とっても長いので、今日の夜までに終わるかどうかわかりません(p_-)が、やらせていただきます。
だって、、私すでにもう感動で、ずっと心が震えています。のぶさんは本当に不思議な方ですね。鈴木さんみたいな、素敵なお方とお知り合いだなんて、ますます尊敬いたします。
では書きます!
「大阪の鈴木さんへの手紙未達」
鈴木様
拝啓 夏も盛りとなり、蝉の声が激しく響く季節です。いかがおすごしでしょうか。大阪も猛暑とのニュースを聞き、あなた様のことを懐かしく思い出しております。突然のお手紙に戸惑われることと思いますが、感謝の気持ちをしたためずにはおられず、こうしてペンをとっております。
かれこれ、15年以上も前のことになりますね。あなた様は、自ら運転するバイクを病院の駐輪場に入れ、歩いて受付までおいでなさり、時間外の訪問を詫びながら、笑顔で病状を簡潔に伝え、何の緊急性も感じさせずに、待合室のベンチで待たされて、30分後に意識不明になり、倒れられました。
受付担当看護師は、後々の会議で、トリアージのミスを問われましたが、あなた様の優しい添え書きのおかげで、何の罪にも問われず、彼女はそれに応え、今では看護師を率いる立場にいます。その節は誠にありがとうございました。彼女に代わってお礼を申し上げます。
あなた様は、他の患者さんとは全く違いましたね。看護師の仕事を気遣い、その家族を気遣い、ドクターを気遣い、他の患者さんの心を気遣い、部屋のクモにまで気遣っておられました。職業柄、肝炎の苦しさは、よく存じ上げておりますが、あなた様は、初日以外はずっと笑顔で、歩ける時は他の病室に間違って入ったふりをして、他の患者さんを笑わせるための手遊びなどをされていましたね。たちまち病棟の人気者となっていきましたね。
あの8日間は、私にとっても、病院にとっても、天使が舞い降りたとしか思えない日々でした。
そのたった8日間で、私の人生は大きく変わりました。
まずは息子のことです。
あの頃は、息子の目がもうすぐ見えなくなってしまう。というまさに、瀬戸際の時期でした。私は、それをあなた様に申し上げるつもりは全くなかったことを知っていただきたいのです。本当です。
でも、あなた様に笑顔で問われて、つい話してしまったのです。
「山里さんは、どうしていつも突っ張ってるの?何か辛いことがあるの?大丈夫?」
とおっしゃる姿を見た瞬間、今まで堪えていた堰が切れてしまいました。津波が起こったとしか思えない大きな波を、あなた様にぶつけました。
当時、私の心境は、失明するかもしれない息子のことが不憫でならず、別れた夫も頼りにならず、私一人でどうしようか、と途方にくれていた頃でしたので、その鈴木様の投げかける優しい言葉が、胸に暖かく沁みて、知らず知らず、思うがまま、怒涛のように話してしまったのです。
その時点で看護師としては失格でした。しかし、あなた様のお考えをお聞きして、結果、大正解でした。
覚えておいででしょうか。私は、息子の将来を憂い、自分に何もできないことを責め、誰も助けてはくれないことを嘆きました。
あなた様に話を聞いていただいてから、あなた様が退院するまでの8日間、私の業は焼き尽くされ、希望だけが残りました。
毎日、あなた様は、私の同じような話を、丁寧に聴き続けてくださいました。
そして4日目のお昼ご飯を食べた後、あなた様は、言いました。
「山里さん。息子さんにね。。僕の目を差し上げます。片方だけだけどね(笑)うーーーん。右目。でいいかな?」
私は、それをはじめは冗談かと思って流しました。しかし、翌日、当時の外科医であったT先生から私にすごい剣幕でのクレームが入り、あなた様の決心が本気だったことがわかりました。
あなた様は、
「僕の右目を山里さんの息子さんにあげたいんだけど、手術ってできますか?可能であれば、やってください」
と医師に伝えましたね。T医師は、生きている人からの角膜移植はできません。と突っぱねました。その後、私はT先生に激怒されました。鈴木さんをどうやって説得したのか。現在の医療の限界を知っている君がなぜ!という剣幕です。
私は、鈴木さんが本気だったとはわかるはずもなく、ただ驚いて、その時点でもまだ信じられずにいました。T医師は、最後には苦笑いで、
「あの人は、アホか神様のどっちかやで。」
と流してくれましたが、私はその時は正直怒り心頭でした。
自分の目を、他人の子供に差し上げる、だなんて誰が信じますでしょうか。
私は、あなた様に対し、そんな冗談はやめてください。と強く、はっきり申し上げましたね。
あなた様は、それでも、笑顔で、
「冗談じゃないですよ。僕の目は、視力もかなりいいし。カズシゲくんの助けになるし。山里さんも悩みも少なくなって、これからもっとたくさんの人を、明るく救えるようになるでしょ?そうなれば、僕の目で、間接的だけど、もしかすると、数万人の人々が助かっちゃう?なーんて嬉しいし。」
とおっしゃってくださいました。私は、無言で病室を出てしまい、そのあとステーションで泣きました。どう受け止めていいのかわかりませんでした。
一瞬よぎりました。あなた様の右目をいただければ、息子の将来が明るくなることを、考えてしまったのです。ある意味、あなた様の言葉は、残酷でした。
その選択を、私がするわけがなかったからです。
翌朝、何事もなかったように私はあなた様に接しました。しかし昨日の話、考えてくれた?と私に目のことを催促されましたね。私の心を揺さぶるあなたに対し、激昂しました。「鈴木さん。そう言っても、本当にできないでしょ。目をなくす人の気持ちも考えて言ってください!」と。
その時のあなた様のお顔は忘れられません。
まるでお釈迦様でした。
静かな笑顔で、
「僕の目、使えないのかな?移植って絶対できないの?難しいの?命を助けてくれたお礼をしたいだけなんです。僕の命よりも、この目は小さいものだから、安心して使ってくれていいんです。心配いらないですからね。僕には、左目さえあれば生きていけるし、右目が見えない人でも、素晴らしい生命力を持って生きている人もこの世には沢山いるし。だから、使ってください。大丈夫です。僕の右目を使ってください!」
と強くおっしゃられました。その言葉だけで、私の心は完全に救われました。この方は本気で言っているんだ。とわかった瞬間、いろんな毒が消えていきました。
私は、人を救うとは、こういうことなんだと確信しました。
本気で、相手に寄り添う。
本気で、自分の右目を誰かにあげようとするなんで狂気の沙汰ですが、命を救ってくれたお礼と言われれば、それが本当に実現するかもしれない現実さを帯びてきます。
結局私は、あなた様の提案に対し、現代の医学では生体角膜移植は不可能に近いことをT医師から話していただき、この話題は終了とさせていただきました。
そして、その後です。
私は、あなた様に人生の進路指導をしていただきました。
何を選択すればいいかのヒントを、教えていただきました。
あの時決心していなければ、今の私はございません。
「山里さん、本当は、、看護婦さんじゃないでしょ。」
とおっしゃった意味がわからず、キョトンとしていた私に対し、ニヤッと笑って、
「本当は、違うことしたかったでしょ。」
とおっしゃいました。覚えていらっしゃいますか?そう言われた意図が今更なんだったのかをお聞きしたいとは思いませんが、その質問で、私は、電流が走りました。
私は看護をしたくてこの道に入ってきたはずなのに、違うことがしたかっただなんて、なんでそんなことを言うの?私は。私は、本当は、、
と自問自答し始めたのです。
そこであなた様は、「だって山里さん。お医者様の心を持った看護婦さんなんですもん。看護の中に、強い意思を感じるんです。もっとできることがあるはずなのに、って。その間で揺れてるのが、顔に出てるんですよね」とおっしゃいました。
私は、恥ずかしくて顔を上げられませんでした。実は、そうでした。私は医者になりたかったのです。でも、女だてらに医者なんて、と父に反対されて看護の道に入ったのです。
その日の夜。一睡もできませんでした。
医者になる。
これは、大学に入り直し、インターン経験を積み、あらゆる難関を突破しないと勝ち取れない資格です。私にできるだろうか。不安でいっぱいになりました。
しかし、不思議です。医者になるイメージが、もう出来上がってしまっていたのです。朝方には、できる気がしてなりませんでした。
ただ、看護師を辞めてしまっては、収入は無くなります。大学に入ると息子の養育は誰がするのか。医師免許を取るために10年はかかるとなれば、今の生活をどうすればいいかわかりませんでした。
あなた様が退院できるとなった最後の日。
運命の5分間がやってきました。
あなた様の言葉に、私は最高の希望をいただきました。
「私、やっぱり医者になりたい。ただ、いろいろ問題があるんです」
とお伝えしようとした時、あなた様は、
「あら!山里さん。顔が変わったね!決めたんでしょ。うん。いいお医者さんになると思うな〜」
私は絶句。見透かされてたんだ。。さらに、
「でも問題は、生活費ですね。これは、僕の考えですけど、これからの時代は、訪問介護とか、訪問看護を必要とすると思うんです。だから、5人くらいの顧客を獲得するといいと思うんです。月々30万円は入ってくる感じかな。あと、行政の支援もこれからは充実してくる時代ですから、補助も考えられます。それと、病院の看護支援、ここに来れなくてもできることをやってください。いろいろあると思います。工夫すれば、勉強する時間もできるし。息子さんの送り迎えは、送迎してくれる方を探して、勉強を見てもらえる個人塾を探して、夢を実現させるために全力を出せばいいと思います。そうすれば、ちゃんと助けてくれる人が出てくる。応援してくれる人が出てくるものです。この世は捨てたもんじゃないんです。頑張ってる人にはね、必ず天の風が吹くんだから!」
もう涙が止まりませんでした。こんなに真剣に、私のことを考えてくれていて、私の夢を実現させる方法を具体的に、伝えてくださっていること。夢を見ているような感覚に襲われながら、
『もしかしてこの方は未来から私を助けにきてくれた息子の息子?』
みたいな荒唐無稽な想像までしてしまったほどの、衝撃でございました。
もちろん、苦労はしました。でも、医者になる目標は達成できましたし、燃える気持ちをずっと持ち続けて仕事ができたことに、誇りを持っています。
あなた様との出会いが、私の心のかせを外せたこと。心から心から、感謝しています。手紙では書ききれません。またお会いして、直接お礼を申し上げたく存じます。
勇気を振り絞ってお電話をいたしましたが、電話番号が変わってしまわれたのか、繋がらなかったので、こちらに不躾ながらお手紙いたしました。長文、大変失礼いたしました。
あなた様の健康と、多幸と、安全を全力でお祈りしております。
何卒、この気持ちが届きますように。
お互い、暑さに負けず、本気で毎日を生き切りましょう!
敬具
山里和子
。。。。。。。。。
何しろ点字をさらに訳すので、所々意訳となっていますが、ニュアンスは伝わるのではないかと思います。
この手紙、鈴木さんに読んでいただけると聞いたら、もう何が何でも絶対書き切ろうと思って書きました!
時を超えて伝わる感謝の手紙。
もう、また涙が出ます。
こんなに素敵な経験は初めてです。ありがとうございました。
主人の性格の良さは、鈴木さんのおかげなのかもしれないと思うと、鈴木さんのこと、大好きになりそうです!
・・・・・・・・・
と、今回はここまでにしておきましょう。
鈴木さんにお伝え下さい。
チャレンジする人間と、そうではない人間がいますが、山里さんは、鈴木さんの真心に触れて、勇気を持ってジャンプしました。
そのおかげで成功し、やり遂げて、人生を生き切りました。
どちらも尊敬です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
オットの言うとおり。どちらも尊敬。
先輩のお手紙。何度読んでも涙がこぼれる。
スペ患鈴木さんの、若さゆえの提案「僕の右目をあげます」って、ほんっっとうにバカ。ばか可愛い。スペバカw
このメールを福井のみぃちゃんはどう受け取って、オットにどう返信するのか。
次回へとつづくぞ
〜ゾンビより愛を込めて〜