ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

一途論 16 〜 ウチが希望を無くさなかった理由 〜

一途論再開じゃよ〜

と言っても、一つの記事を書くのに1週間ほどかかる。皆様には、じっくりお付き合いいただければ嬉しい。

人間の体は不思議でいっぱいじゃ。毎日一途の音楽を浴び続けているおかげで、どんどんパワーが漲っていく。身体中の癌が消えていく日も近いのかもしれん。と思うくらい、爽やかじゃ。(気持ちだけかもしれんが( ´ ▽ ` ))

試してみいよ。

良い音楽には、人の細胞を絶妙に手助けする波動が入っている。今までお届けした曲をダウンロードして、スマホに保存して、聴きまくってくだされ。

好きな曲があったら何度もリピートしてごらんなされ。幸せホルモンダダ漏れ状態になるぞw

さて、今日ご紹介する曲も凄いぞ。

正直、度肝を抜かれたわ。

この歌詞の内容の重さと、愛の重さが、均衡を保って伝わってくる。この世の哀しみと、この子の健気さと、おばあちゃんの、命に変えてまでもの人育てに対する真剣さが胸に迫って止まない。

 

この歌の内容は、シンプルに言えば、虐待の話じゃ。

あたしは、どうにもこうにも、「虐待」という言葉が苦手でのう。

手を上げて子を虐める人。強い言葉で子どもを追い詰める人。自分の伴侶を暴力で支配しようとする人もいる。

大切な家族のはずなのに、なぜ、痛めつけるようなことをしてしまうのか。犯罪じゃよ。



擁護するわけではないが、おそらく、本人でもわからなくなってしまっているのではなかろうか。

しかし、本当は気付けるはずじゃ。「本当は、やってはいけない」と心ではわかってるはずじゃ。

あたしも職業柄、病院で関連した話を聞く機会がたくさんあったが、虐待なんてことをまさか自分がやってしまうなんて思ってもみなかった人が、たくさんいた。

やったらあかんとわかってて、それでも、やってしまう。



なぜか。

それは、自分を自分で、今まで何度も、繰り返し「繰り返し追い詰めていく」生活を送っていたからじゃと思う。その鬱積。積もり積もって、誰かを虐待せねば自分を保てなくなっていくスパイラルに陥ったと考える。

それだけの理由では片付けられんが、一意見として聞いて欲しい。

自分で自分を蔑み、自分で自分を傷つける。

それによって、心のバランスが取れなくなっていく。バランスを取るためには、自分以外の人を傷つけることによってでしか成立しなくなってしまう場合が多い気がする。

自分より不幸な人を見て、自分の幸せを確認することって誰にでもあるじゃろ。

自分よりも可哀想な人が存在する。自分が一番不幸ではない。救われないのは自分だけではない。

しかし、身の回りに不幸な人などそうそういない。

そんな気持ちを共感してもらえる人もいない。

自分の弱い気持ちを言えるはずもない。

孤独の中、弱い存在を探す。自分を奮い立たせて探す。

探しても探しても見つからない場合は、自分より立場が低く、かよわき存在を自らが作り上げることでしか、自分を幸せにすることができなくなる。

つまり、、自分より不幸な人を、自らが作るしかなくなるんじゃ。

それがいじめや虐待につながっているのではないだろうか。

自分が手を下すことによって弱い存在が実在することになる。しかし、それは、正当化されていく。

自分が不幸にならないためにやっていることだから正しい。自分の心をまもるためにやっていることだから、正しい。自分は死んではいけないけど、自分より弱い人は死んでも仕方がない。

という論法を生み出し、虐待は終わらない。

そう。終わらないループ。。。最後は、自分が死ぬ代わりに、大切な命を奪ってしまう。そこで安心する。もう虐待しなくてもいい。と。そこまで行ってしまうと誰も救われない。。

どうしてそんな精神状態になるまで放っておいたのか。

と、人は思うじゃろう。

それは、自分の本当の気持ちを誰にも言えず、本当の自分を出せないから周りに誤解されて孤独になり、相手にされず、結局自分の心は自分でまもるしかない状態になっていったんじゃと思う。

例えば、無人島で一人ぼっちになったとき、生きるためには生物を殺さなければならない。いやでもやらねば、自分の命が尽きてしまう。じゃからどんどん開き直っていく。その状態に近いのかもしれない。

夫婦で一緒に虐待している場合は、どちらかに合わせなければ、自分が大切にされないから、仕方なく虐待するパターン。

どちらか一方が虐待している場合は、どちらか一方が自分を認めてくれない、人間として扱ってくれない、もしくはあまりにも無関心であるパターンが考えられる。

つまり、共通しているのは、猛烈に寂しいということ。自分をわかって欲しい、認めて欲しい、愛して欲しい。

であるなら、虐待を止める方法は一つ。

夫婦なら、相手のいいところを見つけて、認め、褒めて、尊敬して、愛することで、まず虐待は生まれない。お互いのいいところが分かってさえいれば、許すことができるようになるし、尊敬しあっていれば、ちょっと変なところも可愛げに見えてくる。

そんな関係を保っていれば、もし虐待が始まってしまったとしても、どちらか一方が止めに入ることができる。お前らしくないぞ、あなたの心を思い出して。と言える。

そばにいる人が、どれだけ相手を認めることができるかで、人の暴力性はかなり鎮まる。

あたしにはのぶさんがおった。あたしのキレ具合いはとにかく凄かったが、のぶさんにかかるとそれはそよ風にしかならんかった。

「この人は、あたしをわかってくれる。」

心のどこかでそう思っておった。あたしがどんなに当たり散らしても、あたしに対して声を荒げたことは一度もなかった。奇跡みたいな人じゃった。

そんな人おるんか?と周りの友人には何度も疑われたが、ほんまにほんま。あたしの目の前におったんじゃからしょうがねえ。

あたしが希望をなくさなかった理由は、たった一人。あたしを全力で愛し切ってくれた人がおったからじゃ。

この歌の希望は、そこにある。

YouTubeにアニメーション付きで発表されておるのでそれをご覧くだされ。

これを見ると心が暗くなってしまうのではないかと思う人もおるじゃろう。

その逆じゃ。

人の愛の深さを知ることができる。

人の心の強さを知ることができる。

人の弱さを垣間見ることができる。

人の笑顔の奥にある哀しみを感じることができる。

 

まずはお聴きくだされ。

 

 


【ウチが希望をなくさなかった理由(わけ)】

 

ウチは7歳のときお母さんに
置いて行かれた
お父さんの顔も知らない 

アパートにばーちゃんと
オバとウチ 
ばーちゃんはウチをかわいがり 
オバはウチを嫌い憎んだ 

勉強すると舌打ち 
髪をつかみ 引きずり回し
あざにならないように殴る

その場では泣いても人前では笑った
「両親がいない不幸な子」
だなんて思わせるもんか 

ウチを食べさせ生かしてくれて
ウチを丸ごと認めてくれて
ウチって大事なんだって
教えてくれた

それが ばーちゃん
大好きな 大好きな ばーちゃん

ウチはグレることに興味なく
バイトに夢中 
高校では親友と大笑い 

ばーちゃんのお弁当も楽しみ 
でも家では虐待されないように
オバのご機嫌を取る毎日 

近所の子のイジワル 
ウチが気にしていなくても 
ばーちゃんはその子の家へ
怒鳴りに行く 

しつこいほどの
「お礼言ったんか?」
「挨拶と返事はちゃんとせい!」
愛情いっぱいの口ぐせ 

愛は「ありがとう」を言うこと 
愛は 仲間と助け合うこと 
愛は 笑うことと教えてくれた 

それが ばーちゃん 
大好きな 大好きな ばーちゃん

癌になったばーちゃんの
最期の教えは命の重さ
自分を見直す時間をくれた

今だからわかる

ウチが自分を傷つけなかった理由(わけ)
ウチが希望をなくさなかった理由(わけ)
ウチが未来を楽しみにできる理由(わけ)
ばーちゃんが そんな人だったから

いつか 家族を作りたい 
笑顔 いっぱいなんでも話せる 
心豊かなお母さんになりたいの 

見てて ばーちゃん
大好きな ばーちゃん

愛は「ありがとう」を言うこと 
愛は 仲間と助け合うこと 
愛は 笑うことと教えてくれた

それが ばーちゃん 
ありがとう
ありがとう 
ばーちゃん

 

どうじゃ皆さん

涙が止まらんぞ。

 

ありがとうを言えば愛される。

仲間と助け合えばやがて家族になる。

笑えば、人が集まってくる。

おばあちゃんの教えは、このままでは孤独になっていくであろう娘を、逆に社会に愛される人にするためのものじゃった。

おばあちゃんは、

人は一人ぼっちではないんじゃと、命がけで教えてくれた。泣ける。

あたしはそんな婆さんになりたいと、こうしてほぼ動けない状態になっていてもまだ思う。

このブログが、もしかすると10年後。一途も還暦を迎えているころ、命を終わらせようとしている誰かの目に止まり、生きてみるか。。と少しでも思える人が生まれるかもしれん。

この歌は、多くの苦しんでいる人に希望を与える歌じゃ。

皆さん。拡散をお願いするぞ。

一人でも多く、寂しき人を減らして欲しい。

あなた自身が寂しいなら、誰かに声をかけてごらんなさい。

どうやってかけるのか?

「いつも投稿みとるよ〜!言葉の中に温もりがあってええね!これからも続けてよ。いつもありがとう」

「久しぶりにあんたの声が聞きとうなったわ。メッセージしてごめんやで。昔のまんまのあんたが夢に出てきよったけん。どうしとるかなー思うて。元気?」

「いつも忙しいって聞いとるけど、たまにはうちの店にもおいでんよう。辛いことはないやろか?おもろないこともあるじゃろう?我慢せんと、飲みにいこ」

「時間が過ぎるのは早いなあ。病気になったって聞いてからあたしは何もでけんかったが、今はどうやろか?今度一緒にご飯食べようかね〜」

「最近どうも外に出られんようになってからかな。。自分の存在感が薄うなってしもて。私って、まだ大丈夫かな。。。」

とこういう感じで、素直に、自分の気持ちをストレートに出していいんじゃよ。

今そこに居る選択と、外に出て誰かに会いにいく選択と、どちらを選んでもええ。その選択を今するのか、後でするのか。だけじゃから。

遅かれ早かれ、あなたは自分に最高の選択をしてあげられるようになるじゃろう。

なぜなら、この歌を聴いたから。少し億劫だったけど、少し怖かったけど、「向き合って聴く」という行動を起こせたあなただから、できる。

一つ乗り越えられたもんがある。という自信。ここが重要じゃ。

虐待をテーマにした重そうな曲を聴き切ることができたあなたは、次に進むことができると思う。

そしていつか、あなたがもしかすると、誰かの、たった一人の救いの人になり得るし、たった一人の友達にあなたが救われるきっかけが生まれるかもしれん。

いずれにしても、あたしはこの曲に背中を押された。

じゃから記事が書けた。書ききるという選択をした。

その結果は、他の誰かに託すんじゃ。

そしてあたしは、これから幸せになるんじゃ。

そう決めたから、そうなるように生きる。

辛い今を過ごしておる人よ。

あんたは幸せになっていいんじゃよ。

どんなに過酷な状況下におったとしても、自分で選ぶことを忘れちゃいかんぞ。

幸あれ。

生きとるみんなに、幸あれ。

〜ゾンビより、一途な愛を込めて〜