ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

教育講演会「母の愛」2 ありがとう

<昨日の日記>の続き
 

ありがとう

という曲だ。

 

歌詞がいい。シンプルで、優しくて、母親の子どもに対する愛情がいっぱい詰まっている。それに乗ったメロディ。これがまたいい。

くまさんの歌は、会場に静かに流れ、涙腺が脆くなったお母さんはもう止めることが不可能になっていく。

「ありがとう」

 

歌詞 岩堀美雪 作曲 くまひげ

 

ちいさないのち やどったときは
かあさん とうさん おおよろこびだったよ
生まれた時は ただ嬉しくて
毎日寝顔を ながめていたよ
あなたの笑顔 あなたの泣き顔
握り返したちいさな手 歩き始めたちいさな 足
あれからどれだけ 過ぎただろう
あっという間の今日でした

ただまっすぐに まっすぐに ただ幸せに 幸せにと
生まれてくれてありがとう 母さんの子供で ありがとう
幸せ その手で 掴んでね 愛しい あなたの 今よ 輝け


入学式の ランドセル
あなたの 背中で 大きかったよ
運動会で 転んだ時は
泣きながらゴールまで 走ってきたね

うるさいだけの 親だったかもしれない
十分なことは何一つ できなかったかもしれない
それでもこんなに 大きくなった とっても優しい人に育った

ただまっすぐに まっすぐに ただ幸せに 幸せにと
生まれてくれてありがとう 母さんの子供で ありがとう

ただまっすぐに まっすぐに ただ幸せに 幸せにと
生まれてくれてありがとう 母さんの子供で ありがとう

幸せ その手で 掴んでね 愛しい あなたの 今よ 輝け
まずは 元気で 心 ゆたかに 人を 愛して 愛される人に

 

あたしがこの曲を初めて聞いたのは、ミネハハさんのコンサート。まだくまさんのことは知らない頃じゃ。

岡山県の、総社のお寺に、友人に誘われて行ったコンサートで衝撃を受けた。

当時ミネハハさんは、曲を作った人が「福井のくまひげちゃん」であることをMCで言っていた。

「くまひげちゃんは、私がいろいろ苦しんでいる時に作ってくれたのよ。この曲があったから、私は今もステージで、立って歌い続けていられます。感謝を込めて歌います。」

という内容でお話をされていたのでよく覚えている。

亡くなった娘のことを思い出して、後から後から涙がポロポロ溢れてきた。大好きな歌じゃ。

歌い終わったくまさんは、涙の会場で、笑顔いっぱいで再び話し始めた。

 

僕は小さい頃から、何をするにも遅くて、不器用で、泣き虫で、、そしてそんな自分を守るために嘘つきで、知ったかぶりで、できるだけ人の目に触れずに生きていたかったとてつもなく内気な少年でした。

保育園の年長組での話です。初めての折り鶴体験をしました。四角いいろがみを何度も何度も先生に教えられた通りに、真っ直ぐに折り、鶴の形に仕上げていきます。

みんなははしゃぎながら、先生の説明通りに折っていきます。僕は、ふた折り目でつまずき、次に進めません。何度折っても、ぴったり角と角が合わないのです。

皆、僕のことなど眼中にありませんし、先生には、見つめられるとドキドキするので、背を向けて折っているものですから、そもそもやり方すらわかりません。誰も教えてくれない状態で、キョロキョロしながら適当に折っている僕。

僕以外の全員がなんとか鶴を折り終えて、それを天高く掲げている様子を見ながら、ため息をついておりました。やっぱり僕には無理だと。

できなかった自分にがっかりして家に帰り、先生にもらった鶴と、途中で終わっているボロボロの鶴を母に見せて、言いました。

「僕、みんなと一緒にできんのや」

母は、鶴を見て、一言。

「できんでもいいんやよ。あなたには、あなたのやり方でいいんだから。これも鶴(先生の折った鶴)これも鶴(僕が折った鶴)。どっちも鶴なのよ。」

「違うよ。こっちはゴミ」

と自分が作った方を取り上げて言うと、母は笑顔で言いました。

「あなたは、あなたのスピードでいいの。ゆっくりやればいい。ゆっくりやって出来なくたっていい。出来なかったけど、お母さんは見えるよ。ほら。ここ。何度も折って、間違えて、また折って、何回も何回も折り曲げて、違うことがわかって、折り続けたってわかるよ。あなたは、きっと、お部屋にいた誰よりも、折り曲げた数は多いの。時間がかかったけど、それだけ頑張ったんだよ。お母さんはね、この鶴は、あなたが頑張った気持ちが入ってるものだからとっても綺麗に見えるよ。だから、ゴミじゃないの。わかった?これは、つる。」

 

それ以来、僕は急ぐことをやめました。みんなに合わせて頑張ることをしなくなりました。自分のペースで勉強すれば、なんとか人並みにまで追いつけることもだんだんわかってきました。そして何よりも、自分が懸命にやったことは、誰かが見ていてくれて、それを褒めてくれる人がいて、その言葉が40歳後半になった今でも覚えているってこと。

 

さらに言えば、今でも僕は不器用で、なんでもゆっくりでしか理解できず、好きなこと以外はほぼ苦手です。なのに、こうして明るく楽しく生きていられるのは、あの時の母の言葉があったからです。

そして、もう一つ。


小学校2年生の時のことです。僕にとって学校は、とても緊張する場所でした。2年通ってもまだ慣れず、登下校もストレスでいっぱいでした。しかし、ある日の帰り道。一人で歩いて帰る僕はふと上を見上げて二度見しました。電信柱に、今まで見たこともないような蝉が止まっていたのです。本当にでかかったんです。僕には凄く大きく見えました。羽を震わせて、ジーンジーンと鳴いているのをみて、怖くなったほどです。

家に帰って、母が笑顔で「おかえり」と言うやいなや、

「お母ちゃん!さっき僕な、電信柱にな、こーーーんのくらいのセミがいたの見たんやって!こーーーーんのくらい!」

それを大人の人の顔の大きさくらいあるこーーーんのくらいのジェスチャーに、大袈裟に驚いた母。

「えええ〜〜〜〜〜〜!!!そんなに大きな蝉がいたの〜〜!!!」

と大喜び。

子どもは大袈裟に言います。しかも、それは嘘で、そんな大きさのセミなどいるはずがない訳です。本当なら、オトナとしての答えは、

「そんな大きなセミ、いるわけないでしょ?」

で終わる話です。しかし、母は僕の嘘に乗ってくれて、さらに驚いてくれて、しかも最後はこう言いました。

「そんなに大きなセミを見れてよかったねええ〜!いいな〜お母ちゃんも見てみたいわあ!」

と、完全に信じた流れを作ってくれたのです。

僕は、焦りました。

勢い込んでああ言ったけど、本当はそれほど大きくはなかったんだ。でもそれを言ってしまうと、母がせっかく乗ってくれたのに、その気持ちを台無しにしてしまう。ですので、このまま大きい蝉がいたことを現実のものとして、僕も乗り切ろうと決めました。

嘘をついたことによる、小さな罪悪感は、こうして無条件に信じてくれる人を前にすると、自分がついた嘘による申し訳なさが増大していくことがわかったのです。

やがて、この人の前では嘘はつかないでおかなくちゃ。となっていきます。

子どもの言葉を全力で信じ、それに対して頭から否定せず、子どもが自分で気づくまで待つ。

僕は、大学で保育を学んだ時に、ようやく気付きます。母の凄みを。

「待つ」という、地獄の苦しみを、笑顔で耐え抜いた人の軌跡を実体験で学べたのです。

僕の学びのエピソードはまだまだあります。

みなさん、ご興味はございますでしょうか?

(会場はうなずきの嵐。「興味あります」「続けてください」の声も上がる)

 

くまさんのお話は、何かの本で読んだことの受け売りはしない。全て、自らが経験して学んだことしか話さない。いや、それ以外は話せない。不器用ではあるが、誠実。そこがいい。

お母さんとの心の触れ合い、魂のぶつかり合いから生まれるドラマは、リアルで尊い。今まさに、子育て奮闘中のみなさんや、部下を育てている立場の方々や、実際に教育の現場で働いているみなさんは、おそらくハッとする内容になっているはずじゃ。


次回は、さらなる感動エピソード特集じゃ。

ハンカチの用意をしておいておくんなさい。


〜ゾンビより愛を込めて〜

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