ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

教育講演会「母の愛」8 母の手料理と友の誓い

<昨日の日記>の続き

前回の続きじゃよ

おかげさまで、教育講演会「母の愛」。たくさんの方々に読んでいただいているようで。嬉しい限りじゃ。

子育てに苦しんでいる方がお友達でいらっしゃるなら、迷わず紹介してあげてくださいな。

はてなブログに登録して、アプリをインストールすれば、自動的に配信されてくるようになってはいるが、それは少々初心者には辛い。

であれば、スマホの機能を使うと良いらしい。

この辺はまた改めて、福井チームの皆様に、記事で紹介していただこうと思う。気に入ったブログを毎日読みたいけど、わざわざ登録するのは大変だ〜という方には最適な、「ホーム画面に追加」が便利とのこと。

お気に入りのブログを開くためのアイコンが、スマホのトップ画面に自動的に出来るんじゃと。そこをポチっと押せば、お気に入りブログの最新記事一覧が読み込まれて開く。

もちろん、前の記事も読めるぞ。それから、ゾンラブの場合、それぞれの記事の最後に、次の記事へのリンクも入れてあるから、興味があればどんどん読み込んでいけることになる。

連載モノが多いあたしの記事には、次の記事へのリンクはありがたい。一回一回記事一覧に戻っている時間が惜しいもんね。私は、まとめ読みしたいタイプじゃからなおさらこの機能は嬉しい。

みなさんのやりやすい方法で、お好きな時間に楽しんでいただければ良いからの。無理はせず、気の向くままにゆるやかに。

さて、お待たせしたのう。前回の続きからじゃ。

そこは二階の窓で、鉄の柵を乗り越えると、下はコンクリートの道。頭から落ちれば、かなりの重傷で、入院できる。もしくは死ねる。

そういう想像をしているうちに、鉄柵を超えておりました。ベランダの下に降りて、雨樋をつたい、道路近くまで行こう。

その時振り返って、部屋の時計を見ました。11:12。惜しい。そう。いつも僕は惜しいんです。完全ゾロ目であった試しがないのです。どこかズレる。もしくは、12:35とか、0:01など、自分には、何かが足りなくて、どこか皆と違っていて、何をするにも自分にガッカリするばかり。

いわゆる、自己肯定感というものがどんどん欠落していった中学時代でした。

何を見ても、何を聞いても、何を考えてみてもマイナスばかり。顔は明るいのですが、性格が暗かったんですね。

四つん這いになって、下のコンクリートを見ているうちに、歪んで見え始めました。あれ?なんで歪んできたんだろう。

と思っていたら、眼球の先から雫が落ち始めました。

涙でした。

心と体がすっかり離れ離れになっていることがなんとなくわかってきました。

そうか。

こうやって、人は飛び降りられるのか。

ニュースで聞くところの飛び降り自殺のニュースが信じられなかった当時、飛び降りられる勇気があれば、生きればいいのに、という声を聞いたことがあったんですが、飛び降りる時に勇気はいらないのだとわかりました。ただ、楽になることが頭にいっぱいになって、痛みや、その後のことが全く意識の中になくなり、体が無意識のうちに望む方に動いてしまうだけ。

その時です。無意識の力が一瞬働いた時、僕は明らかに窓の方から、母の声を聞きました。

「コーイチー。ゴハンだよー。」

体はハッとして起き上がり、その声に反応すべく立ち上がり、足が窓まで歩き、

「はーい。」

と窓の向こうに返事をしていたのです。

そのまま、ベランダをよじのぼり、キッチンへ。

 

しかし、そこに母はいませんでした。

あれ?ごはん。って??あれ?


大きな声で母を呼びました。すると、階下から声が。

「は〜い。どうしたの?」

と。

「あれ?ご飯は?」

あら、もうそんな時間?ごめんごめん。と階段を笑顔で登って来たのです。

「お母さん、さっき、ご飯だよーって言わんかった?」

不思議そうな顔をした母は、すぐに笑顔になって

「言ったよ。聞こえた?」

と。


お昼ご飯にはまだ早かったのですが、母は、僕が好きなウインナーを焼いてくれ、ご飯は大盛り冷や飯。醤油味の卵焼きに、野菜炒め。カレイの一夜干しを2枚。お味噌汁は豆腐とわかめでおかわり自由。

母は、僕がもりもり食べるのを見ながら、美味しい?と聞きました。

「うん。美味しい。」

と答えると、またにっこりと笑いました。

「お母さんは、いっぱい食べてくれるのが一番嬉しいの」

と言いながら自分は食べず、僕のおかわりを待っているのです。それに応えるべく、僕はますます食べました。ご飯はガスだきで、一升。毎日これを2回炊いてました。

 

ご飯が美味い。

美味い。

するとまた涙が出て来ました。涙腺が脆くなっていたのでしょう。涙はどんぶりで隠してどんどんかっこみました。

「足、まだ痛い?」

と突然、母が言いました。

本当はもう痛くありませんでした。だから、「うん痛い」というと嘘になります。黙っていると、母は、

「痛かったらまだ休んでいいんやでの。無理して行ったらあかんよ」

と。僕は、ご飯をかきこみながら、うん、としか言えません。

僕たちは、今学校で起きている問題については触れずにいました。触れるのが怖かったのもあります。それと、母を悲しませることが嫌だったのもあります。さっき死んでしまうことを考えたけど、母の声が聞こえた気がしたのは母の魂が飛んできて、僕の魂に語りかけてくれたんだと確信しました。死んだらあかん。と腑に落ちました。

母の手料理を食べながら、心の中に、温かい何かが入っていくのがリアルに感じられたのです。つまり、自分が愛されていることを実感しました。

僕は、学校に行って、問題を解決しなくちゃならない。

そう思えました。このままじゃだめだ。


そう思えた翌日。僕は学校に行きました。

そこで、いじめのきっかけになったクラスメートJくんに、今度は笑わずに伝えました。

「Jくんには色々悪いことしたなあと思ってるんやって。ごめんの。」

僕が激しくいじめられるようになってからは、Jくんはそれには参加していませんでした。最初のきっかけだっただけです。しかし、それからJくんは皆から無視されるようになっていったのです。

それを見ていた僕は、ほらみたことか。という気持ちになっていました。

その気持ちになっている自分がみにくくて、その醜さをそのままJくんにぶつけてほくそ笑んでいたのです。

僕はその時、やな感じなやつでした。

Jくんの孤立は、僕のせいでもあったと反省したのです。

「お前は何も悪くないやろ」

とJくんが反応してくれたので、自分が思っていることをそのまま伝えました。僕が、Jくんが無視されていることを、いい気味だと思っていた。とも。

すると、Jくんが微笑んだのです。あの怖い顔がほころびました。

「悪いな、お前」

と言いながら。

「悪いやろ。僕。」

と返し、笑いました。教室を揺るがす笑い声が、いじめがもうすぐ消えてなくなるサインとなりました。

それを聞いた部活の仲間のMくんが駆け寄ってきて、僕とJくんに言いました。

「こうちゃんこうちゃん。オレ、鈍感で気づけんかったけど、もう大丈夫やでな。Jくんも手伝ってな」

と。

1時間後。部活の仲間たちが、僕の教室の廊下に集まってました。そして、僕を殴りにきた人たちに無言で圧力をかけてたのです。中でも一年生の時に骨折した時、僕の腕を上下にしゃくったNくんは、体格もいいし顔もなかなかいかついので、かなりの壁になってくれました。頼もしい守り神となって、廊下で僕を助けてくれました。

Kくんは、すぐさま降参して、

「お前はいい友達持ったなあ。さー今日は勉強勉強。テスト勉強」

と言って、椅子に座りました。これが、いじめ終了の合図でした。

廊下の仲間たちは、頷き合いながら各々のクラスに戻っていきました。

それから僕のボロボロの学生ズボンは、ボンタンになりました。友達から、こうちゃんはおデブやから、ボンタンが楽やよ〜という提案を受け入れ、それにしたのですが、不良たちは大喜び。

ちなみに、ボンタンというのは、太ももが異様に膨らんでいるスリータックの、まあいわゆる不良がはく専用のズボン、のことです。

すわ!仲間入りか!みたいな雰囲気になりましたが、僕は一言。

「僕はただのデブやから(笑)」

その場は大爆笑。不良も、クラスメートも、部活の仲間たちも、大笑い。Jくんが一番笑い転げていました。

当時の母は、僕の辛い気持ちを受け止めてくれていました。

それを、手料理で温めてくれました。

友人Jくんは、本当は自分を責めていました。きっかけを作ってしまったことに罪悪感を覚えていました。無視されても、甘んじて受け入れていたのです。僕と仲直りすることを望んでいました。そしておれはお前の友達でいる、と誓ってくれました。

部活のMくんは一人だけ、声を荒げて戦ってくれました。「いい加減やめろまー!」と。その声に気圧されて、Kくん率いる不良たちの動きが止まり、部活仲間たちは無言でプレッシャーをかけて撃退してくれました。

僕へのいじめは、なくなりました。

しかし、自分の心の弱さに気付かされた経験となったことは間違いありません。

Jくんが無視されていることに対する、悪い気持ち。

ここを忘れちゃいけないな。

と刻みました。

ちなみに、Kくんとは、30年後、薬屋さんでバッタリ再開し、すでに仲直りしています。色々あったねえ、お互い体に気をつけようね、と言いながら笑顔で別れました。

さてさて。次のお話ですが、3年生になり、僕は進路に悩みまくります。理由は、自分がどうも他の人とは全く違う考え方を持つ人間であることに気付いたからです。

今なら、わかります。自分の変人さを明らかにするために大学に行き、その勉強をさせてもらいましたので。

簡単に言えば僕は「発達障害」であったということです。

 

くまさんのカミングアウトは続くぞ。このお話については、全て公開しても良いということなので、全てを出すぞ。

この人のルーツを探すことで、必ず救われる人がいる。

あたしは、この信念を曲げるつもりはない。

賛否両論あると思う。

思うが、止めない。

あたしは、あたしなりの愛を、このブログに全開でぶつけると決めた。

くまさん。許してくれて、ありがとう。

関係者の皆様。

どうか、最後まで読んでいただきたい。

読者の皆様。

いつもほんにありがとう。

冒頭にもお伝えしたが、苦しんでいるお母ちゃんのお友達がそばにいたら、この教育講演会の連載記事をシェアしてあげておくんさい。

それだけでいい。何かしら、掴めるといい。今掴めなくても、じわりと効いてくるはずじゃ。

頼むぞよ。ありがとうござんすよ

つづく

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