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もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

教育講演会「母の愛」10 母の愛

<昨日の日記>の続き

ここからが本題であり、まとめであり、永遠の真理になるじゃろう。

あたしのごたくはもうええね。

教育講演会「母の愛」最終回。長いので、今回の「母の愛篇」と、次回の「人の世の幸せを一から始める篇」に分けてお届けしよう。まとめて読みたい方は、明日の夜7時までお待ちくだされよ。小出しですまんのう。

それでは、どうぞ。



これは、僕が満一歳の誕生日の時の母の日記です。

今日はなんの日か知ってる?そうそう幸一の満一歳の誕生日です。

から始まってます。

母の日記 幸一満一才の誕生日

幸一満一歳の誕生日

 

一歳の僕は、一人で立てるようになりましたが、まだ自分で歩くことはできなくて。母としては、本当は歩いてほしい気持ちがあるんです。僕の成長が喜びなのですから。しかし、こう言います。

 

「でも、一生歩かなければならないのに、急いで歩くことなんかないね」


自分に向かって、僕に向かって、歩いては欲しいけど大丈夫。急がなくてもいい。それでいいんだよ〜と言ってくれています。

これが母の考え方なのです。

期待はする。でも、慌てることはない。現状を愛すればそれでいい。今はまだできなくてもいい。未来はきっと明るいでしょう。不安もあるけれど、今を幸せに嬉しそうに暮らしていれば、感謝でいっぱいになるよ。

 

「あなたの生まれた日もこうだった。雪がたくさん降った寒い日だったのよ。でも元気になって何より。一番の喜びだよ。あのまま幸一という子が死んでしまっていたら、今頃お父さんもお母さんもしょんぼりしていたことでしょう」

そうなんです。僕は仮死で生まれてきました。息をしていませんでした。僕の口の中に、自分のうんこが詰まっていて、それが喉に詰まって息ができなかったのです。それに気づいた看護師さんが口で吸い出してくれたそうです。僕は、生まれた瞬間に、死に、すぐに人に助けていただいたことになります。蘇生させてもらった僕は、この御恩を一生かけて返す使命をいただいたと、母から教えられました。

「毎日が、楽しくて仕方ななさそうな顔をしている幸福な幸タン。幸一といると、何もかも忘れてしまう。早く暖かくならないかな」

貧乏で、寒くて、苦しい毎日の中で、僕という存在が、家族の中の、笑顔の元になっていた、ということです。

 

僕を育てることによって、僕の笑顔を作ることによって、僕にご飯を食べさせることによって、一緒に笑い、一緒に泣き、一緒にはぐくみ合う、その繰り返しの日々が、お互いを成長させたのだと思います。仮死で産まれ出てきて、しばらく体の弱かった僕が、今こうして50年近くも生きていられた奇跡を思うと、感謝しかありません。

この日記を読むことによって、僕は確認することができます。

 

父と母が、どれだけ愛し抜いて育ててくれたかを。

 

日記と言うものは、その時々の心、社会情勢、大切な人への想い、仕事のしんどさ、生活の辛さなど、その時にしか書けないことを記録しておけるものになります。

 

今の時代、手書きで日記、は続きません。文字を書くという行為すら、遠ざかっています。スマホでいいじゃないか。写真や動画で残しておけばいいじゃないか。愛したことを忘れはしないから大丈夫。と思われる方もいらっしゃるでしょう。

 

わかります。もちろん、それでも良いと思います。しかし、残念ながら人間の記憶と言うものは薄れていくものです。スマホも壊れます。パソコンのハードディスクでさえ、壊れます。バックアップを取っていたとしても、わざわざそれを普段から開いてみようとはしません。

 

この日記は、(日記に手を置き)とても懐かしい匂いがし、とても軽くて、いつでも開くことができて、父と母のぬくもりがこの日記をこうして触れば、ちゃんと伝わってきます。

 

この愛のかたまりを、僕は何度も読み返します。

幸一のミルクの飲み方うまい。一口もこぼしません。

かわいい赤ちゃん

 

「行儀のいい子に育てねば。落ち着きのある、芯のしっかりした、素直な子にね。これはお父さんとお母さんの願い。幸一自身は、夢と希望の宝です。大好きな可愛い赤ちゃん。幸一。お父さんもお母さんもしあわせよ」

 

このようなラブリーな文章で埋め尽くされています。

 

 

中学生時代。自分はみんなと違う。何をやってもうまくできない自分のことが大嫌いだった僕。

 

どれだけこの日記に救われたかしれません。

 

自分の中の記憶が、この日記を読むごとに記憶が掘り起こされ、定着していきます。

 

この、足りない脳の中に、愛が刻まれていくのです。誰かに愛されるということ、誰かを愛するということ。どう表現すれば、愛することになるのか。どう表現してもらえたら、愛されていると感じることができるのか。この日記が僕の教科書になりました。

 

ところで、脳科学について、昨今いろんな研究がなされて、いろんなことがわかっています。

 

例えば、人に認められず、いじめられて、暴力を振るわれた時、言葉の虐待もそうですね、子供の脳はどういう状態になるのか。

萎縮します。

難しい専門用語ではなく、簡単にいうと、恐怖を感じる時、胸がギュッとなるのと同じように、脳みそもギュッと縮こまります。元に戻りません。脳が壊れてしまうと、そのままです。心は時間をかけて癒すことは可能かもしれませんが、脳が破壊されると、戻りません。

三兄妹のバンド活動、僕一人での講演活動(ご依頼はこちらから)、人形劇(詳細はこちらから)などをさせていただくと、そんな事例をたくさん耳にします。

シャッターを閉ざし、心を硬くさせ、二度と元に戻らない状況を作られて、復帰できずにいる子供たちをたくさん見てきました。どんなに言葉を尽くしても、心を尽くしても、二度と心を開かない、そんな子供たちが増えてしまいました。

 

それは単に、愛情が足りないからということではありません。

 

子供の記憶の中に、お父さんお母さんの「思い」が残っていないからです。昔の写真を見るだけでは、父と母の当時の思いはわかりません。日記には、ストレートに残っています。

 

皆さんも、思い出してください。0歳〜2歳までの思い出を。と言われても、その辺の記憶ってあまりないと思います。僕も、うっすらしか覚えていません。とても危なかった時とか、とても寒かった時とか、すごく美しいものを見たときとか、何かしらの状況の変化が激しいものだけが強く記憶に残っています。

 

普段の生活で、母が自分に離乳食を食べさせてくれた記憶とか、おしめを替えてくれたこととか、父がずっと手を握って一緒に寝てくれた記憶とか、母が辛そうにしてお腹を抱えている記憶とか、父がガリガリに痩せ細ってしまいそれでも漁がない時は建設現場に行って働きながら、嫌な咳をしている風景とか、全く覚えていません。

 

しかしこの日記を読むと、その苦しみの状況や、幸せな日々の状況が、つぶさにわかるのです。

 

皆さんに、日記を書いてくださいとは言いません。ただ、お子さんの未来に、愛を証明できるものを、何かしら残してあげてほしいのです。

 

それは手に取って喜ばしいものがいいですね。それはぜひ、皆さんで考えてください。

 

大切なのは、せっかく生まれてきた子は、かけがえがないと言うことです。かけがえがないという事は、二度と、今世以外で、あなたのもとに生まれては来ないということです。

 

子供を失ってはいけません。殺してはなりません。皆さんの笑顔で、真心で、慈しんであげてほしいのです。

 

母の愛。

これは、永遠です。終わる事はありません。僕は今49歳になりました(今は51歳です)今でも、母からは、全身全霊の愛をいただいています。大人になっても、母にとって僕は子供です。何も変わりません。

 

母は、愛そのもの。

 

こうしてお一人お一人、皆さんを見ていると、いとおしくてなりません。私は皆さんの息子ではありませんが、私を見る目が、とても美しく、可愛くて、まるで僕が皆さんに抱きしめられているような優しさを感じます。母のような、ぬくもりを感じます。ずっと真剣に聞いてくださる姿勢に、僕がずっと感動しっぱなしでした。

 

皆様に会えて、心から感謝いたします。この機会を作ってきたくださった立川さん、プログラムを作ってくださった貴田さん。様々な準備を整えてくださったスタッフの皆さん。本当にありがとうございました。


はい。ここで終わるのかと思いきや。。

本当の最終回は、次回に持ち越しじゃ。

お楽しみにお待ちくだされ

つづく

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