ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

さっちゃんオススメ書籍のレビュー「満月の夜、母を施設に置いて」

はい、皆さんこんにちは。

さっちゃん応援団の一員、夏世(なつよ) です。

 

実は私、

「『趣味は読書です』と発言すると、頭良さそうな気がする!」

というだけの理由で読書を趣味にしてしまいまして。

 

不純な動機で決めた趣味を”真の趣味”にすべく、日々、読むべき本をむさぼり探しております😤

 

そんな折、社長(福井のみぃちゃん)から紹介されたのが、この本「満月の夜、母を施設に置いて」

 

さちこさんもかつて【良本レビュー】なる記事を書いていました。

【良本レビュー】「満月の夜、母を施設に置いて」 byさちこ

 

タイトルだけでもう泣けそう。

妄想が広がります。

 

仕事もあるし、家庭もあるし、認知症の家族の介護なんてできない!

それじゃあ特養?老人ホーム?病院?よくわからないけど、専門の施設にお任せしちゃおう。

 

「お任せ」と割り切ってしまえば楽だろうけど、、、なんだろうこの罪悪感。

背中にずっしり乗ってくるような言葉

「母を施設に置いて」。

母を施設に置き去りにする自分が悪いヤツのように感じられてしまう。

 

「いやいや、だって仕事で忙しいからね」

「プロに見ててもらったほうがお互いに安心でしょ?」

「大丈夫、面会には来るから」

 

現実的には正しいが、全て言い訳のようで、ますます辛くなる。

実際に本を手に取ってみると。

さちこさんも書いている通り、絵が素敵。藤川さんのお母さんの目線と、思い出を松尾さんがお母さんになり代わって描いているような、優しさと、えも言われぬ懐かしさを感じる。

 

「認知症の母親の介護」だなんて、明るい話のはずがない。

でもはっきりとした色使いで描かれた表紙の絵は、

淡々としているようで、可愛いような、暖かみがあるような、それでいて人間には手の届かないファンタジーな場所がここにはあるような。。

結果、「あんまり暗い話じゃないのかも」と思わせてくれて、手に取りやすい。


開けば
これは、一気に読めます。


いわゆる「詩集」ですね。

行間や、間も読ませる詩。

文字数が少ないので、「自称・趣味が読書」な私は1時間もかからず読めました。

 

詩と言っても、読み手に高い読解スキルを要求するような言葉少ない詩ではなく、描写はしっかりと、丁寧で、優しい。

それでいて、全てを言い切ってしまう訳ではなく、まさに言葉がポロリポロリとこぼれてくるような、欲しいところに言葉があるような感じ。


それにしても「認知症」に「介護」。

なんて難しいテーマなんでしょう。

 

日々、多くの人が直面し、取り組み、悩んでいることなのに、これについて思いや考えを言ったり、ましてや書くことなんてまるでタブーのように扱われがちです。

何を言っても何を書いても、反撃されそうで、まさに「触れてはならない」テーマ。

「認知症」「介護」

当事者が詩という形で、言葉にしてくれたこの一冊に救われます。

 

「父が、母が、祖母が、祖父が、認知症で」なんて珍しい話ではありません。

実の親から「もし私がボケたら殺してくれ」と言われて戸惑ったなんて話もよく聞きますし、この本にも「お願いします 死なせてください」と懇願するおばあさんが登場します。


でも、そんなことできるはずがありません。

けど、自分だったら、我が子に、孫に無理を承知で頼んじゃうのかもしれない。

 

藤川さんの言葉の端々に透けて見える叫びや思い

「なんでさっさと食べてくれんのや」

「なんでズボンも履かんとどっか行ってしまうんや」

「なんでオムツを替えている最中におしっこするんや」

「おれの母さんなんだろう、しっかりしてくれよ」

 

母親に対して、責めるような言葉を吐いてしまったり、イライラしたり腹が立ったりしてしまう。

 

父親の仏壇の前で祈るとき、どうすれば母親も自分も楽になるかと考えるとき、ふと脳裏をよぎる母の死。

 

誰もが持っているはずの優しい心が、自分には欠如してるのだろうかと自己嫌悪に陥ってしまう。

 

実の親を、介護の専門家ではない、実の息子・娘がする、というのは、無理がある。最初から相手が認知症患者の場合は、仕事として対応できるが、過去の思い出や、性格を知っている状態の相手が認知症になる場合は、強烈な悲しみが伴うはず。

目の前の認知症のおばあさん(もしくはおじいさん)が、自らを生み育てた母(または父)であるという事実は、介護する子どもたちになんとも言えない感情をもたらす。

 

「あの厳格で仕事人間だったお父さんがこんな風になってしまうなんて」

「あんなにしっかりもので優しかったお母さんがこんな風になってしまうなんて」

 

ということは、

家族の認知症、介護は不幸でしかないのでしょうか。

 

この本によると、そうではないようです。

藤川さんの場合は、母親が認知症になったことで、手を繋ぐようになったり。

 

当初、全面的に介護をしていた父は、母と、より一層仲良くなって、施設でも評判になるほど。

 

介護する父親を見て、両親の距離が病気になる前に比べて、近づいたように感じたり、父の新たな一面を発見したり。

 

人と人を物理的にも心理的にも近づける、のもまた認知症の効果、ということなのです。


自分の親が、自分の子のようになる、
時間を遡って子どもに戻って行く様子に戸惑いながらも、それは決して不幸ではないと感じられるのだそうです。

これもまた苦しみを経験し、乗り越えた当事者ならではの言葉です。

モヤモヤした思いで、家族の介護をしている人たちの心にも「ストン」と落ちるものがあるはずです。

 

全編を通して、涙涙の一冊なのですが(きっとさちこさんより泣いたに違いない!)、

特に私がジーンときたのは、

 

藤川さんが、施設で母親に付き添っているとき、

何かしないとダメな気がして、

施設のスタッフが廊下を通る気配がすると

髪を解くなり、足をさするなり何かをする、


そして自分で「馬鹿みたいだなあ」と思うシーン。

ホスピスに入った余命1週間の癌患者が言った

「何もしてもらわなくてもいい」

「ただ側にいてくれるだけでいい」

という言葉。

 

それに続く

「何もせずただ側で見つめることにも

 何かをしてあげるのと同じくらい

 価値があるときもあるかもしれないのだ」

 

ゆっくりと死に向かっていく母とそれを見守る息子。

「何もしなくていい」「そばにいるだけでいい」

「認知症」という病気だからこそ、長い時間寄り添いそばにいられるんだなぁと感じました。

 

今、まさに家族の介護をしている方。

家族の介護について考えている方。

このタイトルにグッときた方。

「趣味=読書」を達成しようとしている方。

 

ぜひ読んでみてください。

ただし、メイクは落として、自室でこっそり読むことをお勧めいたします。



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「満月の夜、母を施設に置いて」




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