ゾンビさっちゃんのラブ全開!

もうすぐ70歳になる余命宣告を受けたがんサバイバー。 病室でブログを開設!

あたしのブレーン♪

オットの手帳は、とにかく凄いのだ。

喉の病気があったのと、もともとは喋るのが苦手で、声もずっと裏声のように掠れていたので、コンプレックスが激しかったのと、あと、私にノート2冊分のラブレターを書くくらいだから、相当書くことが好きだったんじゃな。塾の経営をやめて、喉の手術をして結局声を失ってしまってからは、もうしゃかりきに書き続けていた。

とにかく、あらゆることが書いてある。内容が細かく詳細すぎてびっくりぽんじゃ。

しかも、大事なことは新しいノート(これはルーズリーフ)に清書までしてある。

ここ10年は、手帳にもこだわって、外国製の丈夫なやつで、皮のカバーまでつけて大切にしていた。

書くためのボールペンも色々試した結果、最終的に、モンブランのボールペンに落ち着いた。

こうやって年げつを重ねて、書くことのプロになるともう、あたしの目を真っ直ぐ見ながら、つまり手元を見ることなく手帳に文字を書くことができるという、驚きの技も披露してくれたほどだ。

そんなオットの趣味とも言える、メモ人生のおかげで、あたしは今、毎日が楽しくなってきている。

(のぶさん。ほんにありがとうよ。良い置き土産じゃよ〜)

ということで、ネタが尽きぬわ( ^∀^)

そう。今や、あたしのブレーンとなってくれているではないか!

読んでいてホッとするし、考えさせられるし、たまにどきりとさせられたり、眠くなったり、逆に目が冴えたり。

さらに凄いのは、読むことによってあたしの脳も冴え渡るってところじゃ。

理由はわかっとる。

あたしは、自力で歩行はできない。つまり足が使えない。右目、右耳は使えない。口の中は腫れていて、舌が引き攣ってうまく喋れもしない。背中もお腹も痛いから、ため息ばかり出る。たまにやってくる激痛タイムに悶絶してると、あっという間に寝る時間。この1日で、記事を書く時間にあてられるのは、合わせると3時間かな。少ない時は1時間くらいかもしれん。

そうなると、あたしの脳はどうしても集中しなくてはならない状況に、無理やり追い立てられるわけだ。こうやって使えない部位が多ければ多いほど、使える部位(特にこの頭脳と心)の力が倍増するんじゃの。のぶさんの手帳の効果は絶大。

あたしの頭の中が猛スピードで回転し、強い意思で、アイパッドの機能をフルに使い、いつの間にか原稿が仕上がっている。

そして、それを一日漬け込む。一旦おいておく。すぐに公開しない。(できない)

自分で書いたものを推敲して、もう一度読み込むのは、翌日の朝。

それでよければ公開するけど、気に入らなければ捨てるか、もう一度寝かせる。

だめだな〜と思った記事は下書きに入れてあり、後々、頑張って広げて書く気がしないとポイ。私の中で、書きたいブームが去っているものは躊躇なくポイ。

人に読んでいただく文章というものは、多分、美しくないといけないのだと、のぶさん手帳をみて思うんじゃよ。

美しい、という定義は人それぞれじゃと思うが、あたしの場合は、テンポ。

声に出して読んでみて、つまずいたりつっかえたりする文章は美しくない。

自分の文章はまだまだ美しいとは言えない。

だから日々勉強しとる。

読者さんになっていただいた方々のブログにお邪魔して、記事を片っ端から読んでいる。勉強になるんじゃ。。みなさん、それぞれに、自由で、でもちゃんとテーマがあって素晴らしい。心が躍る。跳ねる。飛ぶ。

あたしが疲れて読めない時もある。
そんな時、わたしに対面朗読してくれる人がいてくれる。

はい。ということで、もう一人、あたしの敬愛するブレーンを紹介しよう。

あたしの名前と同じ、祥子。と書いて、しょうこと読む。ソワカのしょーこ姐(ねえ)。

あたしがそう呼んでる。ちなみにソワカとは、ソーシャルワーカーのこと。姉御肌の人で、不可能を可能にするためにはどうすればいいかを考えて、それを実行に移してしまう、スーパーソワカ。

ちなみに、ソーシャルワーカーのお仕事って、難しいんじゃよ。

免許はあっても、経験がものをいう職業。

病気になった人だけじゃなく、その家族や医療機関との手続きとかは当然スムーズにやり取りさせにゃいかんし、自宅で死にたい方や、自宅介護移行する方などケースバイケースじゃけど、ちゃんと自宅に行って、必要な福祉器具の提案とか、通院のスケジューリングとかもする。患者と病院との連携がスムーズにいくようにと、心配り、目配り、気配りを徹底させて動かなければならない。相当な人間力を持っていないと務まらない。

さらに、しょーこ姐は人気やけん、病院を掛け持ちして、患者さんを複数人みながら、その関係者と、医療現場を繋ぎながら走り回る。

な。かなり大変じゃろ。

でもしょーこ姐は、いつも変わらないのね。動じないというか、どんな問題が降りかかってもいつもニコニコ。でもね、優しい時ばかりじゃないの。すんごく厳しい言葉であたしの気持ちをどよーんとさせる時もある。

でも、それをなぜ今言うか、がわかると、

「あたしって愛されてるんだあっ」て思えてキュンとくる。

しょーこ姐物語はまたいずれここで紹介するとして、今回のテーマ。

ブレーン。

のぶさんと、あたし自身と、しょーこ姐。

この三人が、ゾンビさっちゃんの記事を支えているってことが言いたかったんじゃ。1人じゃないから続けることができる。

しょーこ姐は『言葉』が大好き。この記事も、添削してくれてるのはしょーこ姐。あたしの知らない言葉を知っているし、語呂合わせもうまい。

この前感動したのは、

「さっちゃん。患者って漢字で書くと・・・こうでしょ。」

「うん」

「読み方を変えるとどうなる?」

「うん?」

「わかる?   か、、、 ん、、、  ?」

「しゃ?」

「そう。かんしゃ。」

「うんうんうんうん( ^∀^)」

「ありがたーい存在やねん。患者さんがおらへんかったら、今の医療の成長もあらへんし、私たちの仕事も、、な。。患者さんがたくさんのことを教えてくれへんかったら、未来の人間たちは、まだまだ苦しみ抜かないとあかんの。」

「うん😢」

「そう考えると、今ここで苦しんでいる患者さんたちは、未来の人たちから感謝される存在や〜ってことなんよ。だから私は、いつもありがとう。って気持ちで接することができんねん」

「う( ;∀;)」

「これって昔、大阪で修行時代、おじいちゃん先生に教えてもらったことやねん。」

そういえばしょーこ姐は、いつも大阪のおじいちゃん先生を引き合いに出す。ソワカのプロが大阪時代、彼女の師匠だったらしく、学んだことをあたしに教えてくれる。

ということは、しょーこ姐のブレーンはそのおじいちゃん先生だったってことになる。

そう考えると、ブレーンって偉大。何か物事を成し遂げようとするなら、一人では到底できない。誰かの頭と体を借りなければ、目標を達成することは難しい。であれば、いかに、そのブレーンに気持ちよく働いてもらえるか、が重要じゃね。

のぶさんブレーン、あたしブレーン、しょーこ姐ブレーン、そしておじいちゃん先生ブレーンも含めると、その全てが愛おしくなる。可愛くて仕方なくなる。感謝ばかりが溢れてくる。

みんなー!これを読んでくださっているあなたも、これを書いているあたしも含めてじゃけど、ほんにありがとござんす。ほんにほんに、アイラブユーじゃよーーー❣️


▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

好感を持たれる方法

のぶさん相談記事「心には、心で」が、おかげさまで、びっくりするほど人気だったので、気を良くして今回も出すんじゃが、、

オットの文章を読むと、人気の理由がわかる。


まず、無駄がない。

文脈の繋がりが自然。

思考が素人でもわかる。

丁寧で、優しい雰囲気。

何よりも、相手に対する愛がある。


勉強になるわあ。。。

あたしも見習っていくケェな!!見ときや〜!!

さて、今回のQは

Q:部長という立場に上がったのはいいけど、何となく空回りしている気がしています。部下が私のことを尊敬していない気がするのです。私の言うことを理解してくれないどころか、期待外れのことばかり。私の指導力のなさが引き起こしていると思うのですが、にっちもさっちもいきません。

これに対し、オットはこう答えています。抜粋して掲載するけんね(といっても長いので時間のある時に読んでくだされ〜)


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

「空回りしている気がしてる」

 

と感じる時は、実際は空回りしているのではなく、選択が違っているだけです。

 

あなたは、自分で全てを決めて動いていませんか?

 

選択する時は、なるべく誰かに相談をして決めてください。上の立場だから、自分の責任で決めなくてはならない、と決める必要はありません。

誰かに相談してみると、自分の行動を客観的に眺めることができます。

それがまず最初です。

これでかなり楽になります。

次に、実行を急ぐためには、社員を使うことです。いや、その社員が動かないから自分でやるしかないんだ。と仰るかもしれません。

急がば回れ

という言葉がございます。自分でやったほうが早い。というのは、その場では早いような気がしますが、本当は後々のためによろしくありません。任された社員が、あなたのために頑張りたい!と思えるようにもっていけばいいのです。これについては後述いたします。

まず、仕事の順番について。

全てに当てはまることではありませんが、仕事には正しい順番というものが存在します。その順番を間違えると、時間がかかってしまい、プロジェクト自体の存亡が危ぶまれる可能性も出てきます。自分が考えて出せる正しい順番もありますが、相談した相手の能力や、社員のキャパシティや、会社のポテンシャルによっても随時変化するものなので、出せる仕事の順番は、毎回違います。

あなたの場合、急ぎの案件があって、今、それを成功させたい気持ちであふれていますね。だからついつい、やらなければならないことを飛ばして、先に進んでしまうから周りがついて来れない状況になっている。

 

それは慌てていることになります。

すべて順番通りに確実に進めることが、急ぐことなのです。慌ててはなりません。

選択を誤らず、慌てず、急ぐ。

では、どうすれば正しい順番がわかるようになるのか、それは人に聞くこと。人を思いやること。人の心を深読みし、人の行動を応援していくことで見えてきます。

どういう順番で、何をすべきかを自分だけで独善的に考えるのではなく、相談して教えていただくのです。

その聞き方は、ただ、ヒントをください、ではいけません。自分はどうしたいのか、を自分なりに考えてから、

 

「これについてはどう思いますか?」

 

と聞いてください。それから、思いつきで行動するのも厳禁です。思いつきは、ほとんどが思い込みです。時折うまくいく時がありますが、それは何度も続きません。

ちなみに、すでに自分で完全に決めてしまったことを相談するのは原則、無しです。

自分でやろうと決めたことを告げるのは、連絡です。

人は、その場合、反対しづらいのです。いやいや応援するモードにしかならないのが普通です。

しかし、どうしても最初に自分で決めなければならない時もあります。自分が決めたのに、相談する形をとりたい時は、嘘も方便です。「まだ決めてないんだけど」という前置きを使いましょう。それがあると人は、相談と認識して、しっかりあなたの立場になって考えて答えてくれます。

その相談をした後、自分で最初に決めたことを翻して、内容を変更するのはありです。

変更しないのもありです。

選択権は相談したあなたにあります。

冷静に考えて、相談しつつ相手の言葉に敬意を表し、しっかり順番を決め、正しい道を選びながら、自分も社員も会社もみんなが喜ぶ仕事にもって行く。それが長としての役割です。


さて、話は基本的な部分になりますが、念のためお話ししておきます。釈迦に説法になるかもしれませんがお許しください。任された社員が「あなたのために頑張りたい!」と思えるように持っていくための考え方をお伝えします。

長(おさ)は、社員の未来を考えて行動しなくてはなりません。

前提として、社員が一番大切です。

お友達や、家族よりも大切です。

その大切にしているあなたの気持ちが、皆にわかるように、皆に伝わるように、いつでも表現できるようにしてください。

簡単な方法は、面と向かって褒めること。あるいは、当人がいないところで「あいつは凄い。」と褒めることです。

劇的な方法は、流行りのSNSなどで時折社員自慢することです。ただし、毎日ではうざがられます。時折、が大事です。もちろん、顔出しや個人情報を掲載するのはNGで。


うちの社員はここが凄い。

到底俺にはここまでできない。

このパワーを見習いたい。

よく勉強しているからこそ出た言葉がこれだ。

信じ合ってこそできるうちの社員のチームワークでこのプロジェクトは成り立っている。

俺もこうしちゃおれん。さあ気張れ。進め。


自分の身の回りのことを発信するより、社員の素晴らしさを表現している長がこのSNS上に何人いるでしょうか。あなたが何を大切にしているか、で表現方法が変わります。

うまくいく会社は、社員を大事にしています。というか、社員のことを尊敬しています。それが見える状態にしておくことで、安心感という風が吹きます。

もしあなたが、たとえば出張先で出会った感動的な素晴らしい景色を、社員たちにも見せたい。と思った時、どうしますか?

例えば富士山。新幹線から綺麗な写真が撮れたとしましょう。その写真をSNSで掲載し、一言添えるとしたら。

いつか連れて行きたい。

一緒に登るぞ。てっぺんまで。

目標はまず日本一。

決意を新たに。行ってきます。


これを読んだ社員は、この言葉に自分で追加して読みます。


「部長そういえば、いつか富士山の見える温泉に社員旅行に行きたいって言ってくれてたなあ。」

「部長が言ってたな。みんなで一緒にこの坂道を登っていこうと。しんどいけど、てっぺん目指すぞって」

「会社の目標は本当は世界なのに、まず日本一って。地に足つけていこうってことか」

「今日は営業の山だもんな。毎回決意だらけで頑張ってくれてるんだから、俺たちも頑張ろう」

会社や、社員だけがわかる共有メッセージ、ということです。

こう読み取ってもらうためには、普段から社員の接し方は気をつけておかなければなりません。

いつも僕たちのことを見てくれて、考えてくれている部長。

であることを、定着させなくてはなりません。そのためには、社員のことをよく観察しなくてはなりません。仕事だけの観察ではなく、普段の服装や顔色や声のトーン、食事の好みや家族のこと、できれば趣味なども。

部長の笑顔の前では「ついしゃべってしまいます、、」くらいの柔らかい態度で、明快に質問する力を養わなくてはなりません。それができたら、どんどん社員を褒めることができるようになっていくのです。観察力がついてくれば、簡単にできます。社員に興味を持つことができれば、偏った恋愛感情ではない『好感』をもちます。するとあなたも偏らず好かれます。

部下のことを観察でき、心から尊敬できた部長の言動は、響きます。なぜなら、自分のことをちゃんと見てくれている人には、心を開くのが人間だからです。

自分に興味のない人(好感を持ってくれていない人)に対しては、心は開けません。

詰まるところ、相談できて、相手を褒めることができる部長は、相手を敬いながら叱れるようになっていきます。すると、だんだん部下から尊敬されるようになっていき、仕事の順番もスムーズに流れていき、プロジェクトも自らが頑張らなくてもうまくいくようになります。

ちなみに、親子関係も同じです。

部長、という言葉を「父親」、部下もしくは社員は「息子」、会社は「家族」に置き換えて読んでみてください。あなたの息子さんに対する接し方も変わってくるはずです。


 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


見事じゃのう。。こうやって改めて読んでみると、納得じゃ。。

オットの文をここに掲載することで、自分の記事のレベルを上げていかにゃおえん、、とプレッシャを感じてたんじゃが、いっちゃんはさすがじゃね。部屋に入ってくるなり、

「さっちゃん。あんたの書くモンゴンはええぞ。心があったこーなるわ。毎回楽しみにしとるけぇ。頑張りられぇーよ」

と激励。

うん

いつもの笑顔のあたしに即戻ったわね( ^ω^ )ありがとござんす。あたしはいっちゃんに好感度MAX❤️

 

 

▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

 

心には、心で。

オットは、よろず相談員でもありました。小学生から、おばあちゃんまで。一時期、山陰山陽地方のホットライン電話も担当していた時期があるほど、匿名の人からの相談を受けておりました。

遺品のパソコンを開く勇気がなかったのですが、亡くなって1年たち、こうやってブログを開設したこともあり、彼が今までやってきた相談のうち、これは世の中に出してもいいかなあと思えるものだけここに転載しようと思うんじゃ。

それが、誰かの役に立つならいいかなと。ええじゃろ?のぶさん。

ただしかし、オットが相談者の性格や症状をしっかりヒアリングした上で出している言葉の数々やけ、当てはまらん方もおるかと思う。

その場合、大事なところだけを受け取ってな。



Q:旦那が鬱になりました。共働きです。旦那も仕事には行ってますが、週3で出張で、コミュニケーションをとるのがなんだか怖くなってきています。旦那の鬱がこちらにもうつってしまい、私も苦しくて。でも、旦那がもっと苦しいはずで。お互いに楽になるにはどうすればよいのか。。

という相談。

それに対するオットの返信を抜粋する。

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

この病気は、お互いが持つ不安感を「思わず表現してしまうこと」が一番良くありません。

 

鬱の人に対する応対は、離れている場合でも、1時間に一回メッセで簡単なご機嫌うかがいをするといいです。

 

普段は仕事ですから、連絡はなかなか難しいと思います。入力して送信する間、10秒でいいのです。

 

しかし、旦那さまの場合、時折「大丈夫かどうかを尋ねるだけ」では、不安な病気は進行するばかりです。本当は大丈夫じゃない。という答えなのに、大丈夫、と答えるしかないからです。

 

面倒かもしれませんが、鬱の症状や、周りの人の考え方や行動を勉強してみましょう。

 

病院や薬では治らないものも、サポートする人の行動次第で良くなっていく事例がたくさんあります。

 

何気ない一言も、大きな傷となったりしますので、お気をつけくださいね。

 

一旦心を閉ざすと、だんだん自分のことを話さなくなります。

 

話せなくなるのです。どうせ話してもわかってもらえない。と思うから。

 

自分が辛いことを懸命に伝えたとしても、理解できない人からは、そんなん逃げてるだけや、とか、もうちょっと頑張ったらええやん、とか、安らぐ言葉をかけてもらえないし、結局心配かけるだけだから、お互いに苦しくなっていき、、

うん。だからもうやめよう。。。黙っておこう。。。。

と、ますます一人ぼっちになっていきます。

 

自分一人でなんとかしようと頑張って頑張って、限界がきて、最終的に倒れるパターンが多く、そういう方の多くは、突然自死を選びます。

旦那さまはそんなことはないと思いますが、外では明るく元気に振る舞う人ほど、実は危険であること、理解しておくと良いかと思います。

 

他にも、たとえば、逆に旦那さまから、

 

今日はどうだった?楽しい1日だった?と尋ねられたことはございませんか?

 

こう聞いてくるということは、その日は忙しかったあなたさまからの連絡、会話があまりなかったことを示します。

 

たとえば、こう答えたとします。

 

「まあまあ。普通〜」

 

と。

 

このやり取りの後、旦那さまは、あなたさまに対しての会話が、楽しいものではなくなっていきます。

 

ああ、やっぱり忙しかったんだろうな。頑張ってくれたんだろうな。頑張った時ほど自分が頑張ったことを言わない人だからな。僕がこんなふうに心が正常じゃないからだ。心配させまいと言ってくれないんだ。申し訳ない。僕のせいで楽しめてないんだろうな。最高の1日になってないのは、自分がこんな状態だからに違いないな。

と、どんどんマイナスに向かっていくことが容易に想像できるのです。

無理はしなくていいのですが、そうならないためにできることは、

 

9時  おはよう〜暑いねー!そっちは?

 

10時 遅い朝ごはんナウ。ちゃんと食べた?

 

11時 会社で事件!電話注文殺到!

 

12時 ごはーーーーん!なんでこんなにお腹がすくのか!

 

13時 眠い。

 

14時 あかん、まだ眠い。。

 

15時 外出中。あんドーナツを食べるか否か!

 

16時  会社に戻り、ミーティングー

 

17時 休憩中スタッフの成長がうれしい。今度また話すね!

 

18時 残業ー

 

19時 腹減ったーーー

 

20時 もうあかんかえるわ!!!

 

という具合に、自分の行動を明るく元気に、一言だけでいいので、伝え続けます。

 

相手はこれで安心します。面倒ですね(笑)

 

しかし、これができれば、あらゆることに良い影響が現れます。

 

・自分の立てた計画に忠実に動けているかを、確認できる。

 

・無駄な動きをしている場合にも、報告することでわかる。

 

・伝えることで、一つ一つのイベントが、同じ思いで共有できる。

 

・それに対する返信で、相手の心の動きが確認できる。

これで、思いもよらない、小さいけどいいことが起こり始めます。試してみてください。慣れてくると、臨機応変に相手を楽しませられるようになるし、さらに惚れさせることもできます。それはステップを踏みながらお伝えしましょう。


最後に注意点。

私はあなたのことを心配しているんだよ、ということをわざわざ相手に伝える必要はありません。

相手に対する不安を口に出す必要はないのです。必ずよくなると信じ切ることと、相手の気持ちを否定せず、寄り添うことをあなたさまが決めればいいのです。

旦那さまに対し、

「あなたが、いま、何をして、何を考えているのかが知りたいんだよ。あなたのことを、離れていても私はちゃんと見ているよっ」

という気持ち。この心のうちを、短い言葉で継続して表現しさえすれば、旦那さまの心はだんだん落ち着いていきます。

相手の心が辛い、、ということはわかってるのですから、その気持ちが少しでも和らぐような温もりのある言葉の中に、あなたの愛、全てが含まれていることはちゃんと伝わるものです。

それができれば、あなたの心にも平安の虹がかかるはずです。なぜなら、あなた自身が心の架け橋になったことを実感できる日が来るからです。

鬱は治ります。

心には、心で。

あなたさまの健気な思いを、さりげなく、注ぎ込みましょう。

きっとこれを機会に、夫婦の絆もさらに深まるはずです。

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

オットの言葉には、いつも愛が溢れていて、今読んでるだけでも心が軽くなる。あたしが今、こうなってしまってることを見越しているかのような文言が、そこかしこに散りばめられている。

惚れ直すわ

会いたいよう。のぶさん


▽オットの手記による、実話を元に、ドラマ脚本書いています▽

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走馬灯はエンタメじゃ

この人生で、走馬灯は何回見られるか。

生前オットと話したことがある。

「そんなンは一回でええじゃろう!」

あたしが言うと、オットは落ち着いた声で、

「さちこ、走馬灯は何回でも見ればええ。何回も見れてるちゅうことは、前回の走馬灯で死なんかったといえる。次見て、死んでなければ、また見れる。何回見ても、走馬灯はええもんじゃ〜」

「なんでえよ」

「一瞬にして人生で経験したおもれえことを、追体験できて、頭ん中を駆け巡るんや。しかも、二度と会えん思とうた人に会えるんぞ?のんびりしてられんぞ。あ、あ、あ、あーーーちゅうまに終了やけぇな」

そうやって、走馬灯を何度も見る、という催眠?暗示?をあたしにかけたまま、オットは走馬灯の彼方へ去っていきよった。

おかげで、走馬灯は4回見たわ。この一年で(゚∀゚)

「え!走馬灯って本当にあるんですか?」

とおっしゃる方もいらっしゃるじゃろう。


ある人も居れば、ない人も居る。

と思う。知らん。

あたしは、ある。

 

多分きっと、次も見て、満喫するんじゃ

これは一種のエンタメじゃ。

 

次を楽しみにしておけるイベント。

 

外に出ることなく見られて、ただで楽しめて、かなり壮大な叙事詩。大河ドラマ。早送りの朝ドラ。

 

運良く見れる時は、こう思う事にしている。

 

う、、は、始まった。(ゼェゼェ)できるだけ長くみたいけぇ、頼む、あたしの身体よ、もう少しもってくれ!(ハアハア)

 

気が遠くなるたびに、自分に語りかける。

 

まだ逝くな!全部見とらんじゃろー!(ウヌヌヌ)まだやで。気をしっかりもたんかい!(グヌヌヌ)ほら、やっと80年台まできたんやから、次は90年台!(ガルルル)ミレニアムまであと少しやろー!!

 

そんなこんなで、気がついたら峠を越して、持ち直してるわな。

 

ドクターが必死に処置するための時間稼ぎになるっちゅう算段やな。

 

いやあー!そうはうまくはいかんやろー!

 

と思う方もいらっしゃるやろう。

 

たしかに、難しいかもしれん。

 

ただ、チャンスはあるはず。

 

走馬灯が始まったら、思い出して欲しい。

 

『秘技!ゾンビ流、一の型!無限走馬灯編‼️』

 

少しでも、自分の人生の映画を、最後まで観てから、逝きましょう。せっかく生き切ったご褒美で見せていただくものじゃから、堪能しなければもったいない。

 

堪能し過ぎると、あたしみたいに複数回も体験できるように成長したりもする、、

 

という人もいる。できん人もいる。無理やったらごめんの。

 

「見れんかったでーさっちゃん!」

 

の恨み言はあの世で聞くけんね(´∀`=)

 

見れた方、コメントで教えてくださいな

 

みんなでシュアして笑い合いませう🤣

 

孤独になっちまう入院生活。

 

わかるぜ。

 

あたしがそんなあんたたちを笑わせちゃるきに!!

かくごしいや!(龍馬と志麻)

 

 

 

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甘えていいんじゃよ

あたしには協力者がいる。

 

これまたひょんなご縁で出逢った方で、福井の女性社長。私は彼女のことを勝手にみーちゃんと呼んでいる。(実は漢字は違うが、私の娘と同じ読みの名前じゃった!)

最初はオットとやりとりをしていて、あたしはたま〜に顔を出す程度だったんじゃが、オットを喪って、あたしの元気がどんどんなくなっていく時に、ずっと支え続けてくれたのが彼女じゃった。

LINEを始めることができたのも、みーちゃん。

このブログも実はみーちゃんに作ってもらった。

ラジオドラマの進行も、プロットの直しも、あたしの足りないところを全部サポートしてくれたのは彼女だ。これを発表するまでに、紆余曲折あり2年くらいはかかってるはずじゃ。

ちなみに、現在、映像の会社を経営している野田さん(また会えたときにのバイクの青年)、とは同郷で、地元の経営セミナーで知り合ってのご友人。オットも塾の経営者であったことで、色々繋がってこのご縁ができた。この辺りの話はまたいずれ話そうと思う。

野田さん、みーちゃん、オットの三人でいつも楽しそうだった。あたしは時折仲間に入れてもらいながら、オットの嬉しそうな顔を見るのが好きだった。


なのに、オットは力尽きてしまった。

あたしは孤独地獄に堕ちそうになった。

そこを救ってくれたのがやはり、みーちゃん。

手練手管のやり取りで、まずLINEであたしを笑わせてくれたんじゃ。

みーちゃんの言葉使いと、シールの貼り方は絶妙で、タイミングもその内容も、あたしのツボにはまった。

この人と一緒に会話してると楽しい!打てば響くっ!超可愛いっ!心からそう思った。

特に、毎日の出来事を報告してくれるのが楽しみで、あたしもそれに返信するのが楽しみで、何もできない苦しい日は右手にスマホを持ちながら、ピコーンを待ち続け、来た瞬間に全身の血液が巡り始め、生き返る!というゲーム?をして遊んだもんじゃ。

生気を蘇らせる天才が、みーちゃん。言葉では言い表せないほどの感謝でいっぱいなんじゃ。

そしてもう一人の協力者。ハル。

「ええか。この世の中、本名や会社名を明かしてしまうと、恐ろしいことになるんじゃから、上手にやるんやったら賛成じゃ」と姪っ子ハルにたしなめられつつ初めたこのブログも、最近もアクセスがたくさんあって「読んでくださる人が百人を超えたぞ」とハルからのLINE。

それはすごいことなんかい?

と聞くと、

「すごいとかすごくないとかやないんじゃ。さっちゃんの文章を読んでくださってる人が百人もいてくださることに、感謝せえ言うとるんじゃい。」

と、ハルはあたしに厳しい。厳しいけど、温かい。その通りだ。あたしは、読んでくださる人が一人でもいれば、書き続けるぜとハルにメッセージを返すと、

「さっちゃんのオモロ人生、書き切るまで死んだらあかんけぇな。気合い入れろや」

と震え上がるようなメッセージ。ここでなんかシール使えよハル。言葉だけは怖いけぇやめれーせめて絵文字使えー

とはまだ言えてない。


とにかく、あたしの周りにいる強力な協力者。みーちゃんとハル。この二人のおかげで、テクニカルな部分も、メンタルな部分もあたしの支えになってくれているんじゃ。感謝でいっぱい。二人とも、ありがとござんす〜。


まあしかしな、いつもは当たり前すぎて、自分がこの人に支えられているってこと、思いもよらんことが多いのが普通。

例えば、学生さんは特にそうじゃろうな。

実は、保護者がいて、その保護者にお金を払ってもらって、学校に行けて、服も着れて、ご飯も食べれて、病院にも行けて、遊びにもいける。

バイトしてるもん!自立してるもん!私は一人で生きていけるもん!と思う子らもいるじゃろうが、よくよく考えてみると、結局支えてもらってることに気づく。

誰かがあなたを、支えている人が必ずいて、自立したとしても、誰かが必ず横にいる。これが現実。

引きこもるしか選択肢がなくなって、たった一人で生きている人もいるじゃろう。

同じじゃ。

いつも夜中に行くコンビニの店員さんかもしれん。いつも来ている服も、誰かが作ってくれたもんじゃし、食べてるもんも、工場のおばちゃんがパッケージしてるじゃろうし、ネット環境で外と繋がっていられるのも電線を引いてくれた人がいるからじゃ。

そう考えると、全て、誰かの支えによって、あたしたちは生かされている、と考えた方がいい。

それにはなかなか、気づきにくいもんでな。当たり前に生活しているだけでは、わかりにくい。

病気をすると、わかる。

でも治ると忘れる。

「そんなんわかっとるわ!わかっとるけど甘えるしかないんじゃ。生きるために。」

うん。そう。それでいいと思う。甘えていいと思うんじゃよ。あたしも甘えてみて思う。申し訳ない、ありがたい。

だから結局、甘えさせてくれる人を大好きになる。人ってすごいな、人って優しいな、人って素晴らしいなって思わせてくれる。

これを読んでくださる百人の皆様がいてくれることも、当たり前ではない。でも、あたしからは何もできない。お礼の言葉をかけることしかできない。甘えっぱなしだ。

でも、それでいい。

甘えさせていただく。そのかわり、あたしは自分に今、できることを精一杯やる。

支えてくれる人がいることに気づいたら、次にすることは、自分が支える側になるための成長じゃ。勉強もそのためにする。死を目前にして勉強できたのは、甘えさせてくれた人に、さっちゃんすごいねえとますます甘えさせてもらうためなんじゃここだけの話。。

ということで、皆様、まだまだたっぷり甘えますけぇ、よろしゅうの( ^ω^ )



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「うん」の効能

ラジオドラマの原案配信企画、また会えたときに、の最終回が今日。多分、夕方ごろには出せると思うんじゃ。

ずっと読み続けてくださった方、ほんにありがとうございました。

ブログで続きものってどうかと思うたんじゃが、最後までできて本当に良かったと思うとる。

途中で死んでしもうたら、読んでくださる人もストレスじゃろうから絶対に倒れることはでけん!と奮起できた。お陰様じゃ〜


でな、「また会えたときに」の今後について、うちのドクターから提案があったけん、それに乗ってみようと思っとる。

ラジオドラマの後書きを書いてみてはどうかと。

ドラマを振り返りながら、大切なことを再確認しながら、ドラマの【さちこさんキャラクター】で書いて欲しいと。

こっちの「ゾンラブ毒さっちゃんキャラ」ではなく、劇中の「しとやかやわらかさちこさんキャラ」でお願いしたいと。

そっちが好きだと。

つまり、こっちが嫌だと。。

ま、そのへんは言及するのはやめておこうかの。いずれにしても、あたしは書くよ。このまま終わらせてしまうのも寂しいので、その提案に乗り、後書きをいくつか書いてみたいと思ってる。

皆様には、もうしばらくお付き合いいただくことになるが、大丈夫かの?疲れたら休んでくれていいけん、遠慮せんと旅をしてくんさいね。旅に疲れたら、また戻って来てくれたら嬉しいでよ。

そん時は、存分に楽しんでもらえるよう、しっかり記事も書きためておくけんね。

もし途中であたしが居なくなっても大丈夫。すでに後のことは頼んであるし、はてなさんが頑張ってくださっている限りはここでずっと読めますゆえ、お気楽にお楽しみくんさいね

さ!

本題に入ろう。

今日は、あたしのいつも使ってる好きな言葉について書こうと思うんじゃ。


それは、


「うん」


だ。


ちょっとお。。ごめんなさいね。あれを想像してしまった方のその脳裏のイメージを覆すために早めに言うと、

吽(うん)の方ね。

阿吽(あうん)の呼吸のうんのほう。


まず、あうんの意味をお伝えすると、

阿は、全ての始まり。吽は、全ての終わり。

神社に行くと本殿の前や鳥居の横なんかに狛犬さんとか仁王さんがいるでしょ?どちらかが阿と口をあけ、吽と口を結んでいる。

阿は口を大きく開けて息を吐いてるし、吽は口を閉じて鼻から息を大きく吸っている。

つまり、呼吸してるってこと。生きてるぞってこと。

めっちゃ息があってる二人のことを、阿吽の呼吸だねって言うけど、それ。でもそれって、呼吸の呼吸だねって言ってるねw

こういうの好き。脱線した。ごめんなさい

で、どうしてあたしは、吽(うん)派なのかってことを今日は伝えたいんじゃ。


「うん」


という言葉の柔らかさがまず好きで、普段からよく使う。今はうまく喋れないこともあって、「うん」の中に自分の感情の機微を入れ込んで、ナアスにわかってもらう技術がかなり上がってきたわけだ。

ジェスチャーも交えると、自分の意思は100%伝わる。

肯定の意味で使う「うん」でも色々ある。

「窓開ける?」

言われた時、例えば、少しだけ開けて欲しい場合は、少し悲しげにでも嬉しそうに、軽く頷いて、短くて跳ねる「うんっ」を使う。そうすると、

「これくらいでいい?」

とナアスも遠慮がちに開く。

でも、全開して欲しい時は、大きな声で、張りのある「うん」で伝えれば、スパーーーーン!と威勢よくあけてくれる。

逆に、窓を開けて欲しくない時。否定する時は、う、と、んの間に伸ばし棒を入れてうーんと悩み、首を振ってんーんとやれば、窓は開かない。ちゃんと伝わるんじゃ。

あとは、「うん」と言える人は、甘え上手。

相手の人に心を許している証拠になる。

あたしは、うんのプロ。うんプロ!

甘えないと生きていけないからだけど、できるだけ相手が心地よくなるような「うん」を心がけている。

可愛く、しかしあざと過ぎず、微笑みをたたえながら、うなずく時に少しだけ首を傾げて、

「うん」

これでイチコロじゃ( ^∀^)

ゾンビさっちゃんのために、皆様がせっせと働いてくださるのじゃ。ありがたいよう


上手に「うん」を使えるようになると、素直な人に思われるし、実際だんだん素直な人になってくる。馴れ馴れしい「うん」はあかんけど、上品な「うん」は好かれる。

そのあたりは場数やね。

偉そうに書いとるね(^○^)堪忍の


「うん」を使いこなせば、愛されて、可愛がられ、いつか大きな運が巡ってくる。

あたしにはすでに巡ってきた。だからとにかく皆さんにお裾分けしたい。

あたし「みなさん、受け取ってもらえるかいね?」

皆様「    」

ご昌和、ありがとうござんす( ´∀`)

みなさんに、たくさんの「うん」が訪れますように、愛の光がうんと降り注ぎますように、うんうん唸るほどの痛みが消えますように、全ての物事がうんまく運びますように、雲上のお天道様に祈ります。

吽っっっ!!!!

 

 

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愛しのカーディガン

今、入院中に羽織っているカーディガンがある。

オットが、旅先の温泉旅館で買ってくれたものだ。

手触りの良い、レーヨンとナイロンでできた、超安いやつ。


明るい茶色で、ところどころ小さい穴が開き始めているが、逝く日までは使い続ける所存♪

 

モノには思い出がある。

二人で伊豆に旅行したときのことだ。

晩夏。湯ヶ島は少し涼しいくらい。 道沿いに川が流れていて、オットがタクシーの中で、ずっとうずうずもぞもぞしていた。

 

「おしっこ?」

「いや、なんも。」

と言ってすぐ川を眺める。

やがて旅館に到着するのだが、どうも様子がおかしい。

「どうしたん?」

「ああ、うん。さっきの川でな、こんくらいの魚がはねよったんじゃ」

「ふぅ〜〜〜ん」

それがどうした?みたいな顔であたしはチェックインに集中。魚がはねよったぐらいでなんじゃい。すると突然、

「あ!」

と言ってオットは、窓の外の何かに気づいて玄関を出て行ってしまった。ちょっと!なんなんじゃ?川の方でなんかあったんか?

その時、ふと思い出した。オットは行く先々で水辺を歩きたがる。橋に差し掛かると必ず下を覗き込む。そして、

「いた!魚じゃぞさちこ!ほら!あそこに!」

と叫ぶ。あたしが興味を示すのは、食卓にのぼった焼き魚、煮魚、刺身であって、泳いでる姿ではなかった。しかし、オットは魚が泳いでる姿をみると、興奮するタチだった。

しばらくして帰ってきたオットは、

「すごいぞ!前の川に、こんくらいの魚を釣り上げとった人がいたぞ!」

嬉しそう。。

そうか。

なるほど。

この人は川釣りがしたくてうずうずしとったんやな。目ぇーきらきらさせよってからに。ほんまにもう。

「そんならいきますか?」

「どこへじゃ?」

「早めに着いたんじゃから、ちょっと釣りにつきおうてやろかいのーゆうとるんじゃ。釣竿はここにあります?」

旅館の方もわきまえていらっしゃって、「ございます。餌も600円でございます。」とちゃっかりしとる。

オットのテンションは隠しててもわかるくらい上がっている。はよう釣りとうて気がせいてるけん、玄関の足拭きマットでつまずいてつんのめって。それでも嬉しそうで。

釣竿は一本。あたしは見るだけでいい。意気揚々と川べりまで降りていく。結構歩く。オットはすいすい歩いていく。

到着。

キラキラと輝く水面は美しく、風は少し冷たいが心地よかった。向かい側の岸でも一人釣り人がいて、麦わら帽子と赤いTシャツが似合う若者だった。

オットは?

あら。まだ釣らないの?竿を置いて、太陽を眺めて独り言。

 

「あ。南はこっちか。となると、入りは、あと1時間。・・・うん。よし。さちこ。ちょっと待ってろ。いや、これ持って、そこに立っとれ。」

そう言って、餌をつけた竿をあたしに持たせて、岩と岩の間の淵に釣り糸を垂らして、自分は旅館に戻っていった。

オットが旅館に入ったと同時に、竿がぎゅーんとしなった。

 

「きゃーー!!釣れた!釣れちゃったあー!やだー!」

パニックのあたし。オットは戻らない。

「その竿、ゆっくりあげてみて!」

と麦わらの若者。

岩場を軽々と跳び、あたしの元まで。

すかさず竿を渡そうとしたら、それはできない、というジェスチャーで、自分の持っている竿をゆっくりあげる仕草をし、あたしに釣らせようとする。あなたならできる、という表情で。

無理無理無理ーと思いながら、若者の見様見真似でゆっくり上げたら、大きなニジマスさんが釣れた。意外とあっけなく。あたしにもできた!

若者は「大〜〜〜きい〜!!!すげえーー!!まだこんなのいたんや〜!!」

と大感動の様子。あたしはもうその魚に触ることもできずにただぶら下げてるだけ。

そこにオットが走って戻ってきた。「さちこ!でかした!!!!」と言いながら。

若者も、「奥様、すごかったですよ!こんな大物を一人で釣りあげたんです。びっくりしました。」とオットに報告。

二人の男は、一瞬にして友情を分かち合った雰囲気で。あたしはそれがなんだか嬉しくて。


しかも、オットがあたしに手渡したのが、茶色のカーディガンじゃった。

夕方、ここは日の入りが早いじゃろうから寒くなる。と、売店の横にかけてあった服の中から選んできてくれたのだ。

早く釣りたくてうずうずしていたはずなのに、一旦川まで降りてきたのにわざわざ旅館に戻り、あたしの服のサイズも知らないくせに、手を通したらパーフェクトなサイズで。

若者がそばにいることも忘れて、惚れなおしたわ。



で、、、あたしが釣ったそのニジマスは、奇跡のニジマスになった。。。

その理由は、、、オットは1時間粘ったが、全く釣れず。

向かい側で釣る若者はバンバン釣れていて。

何が違うんだろうな〜と思いながら見ていたが、オットはただただ楽しそうで。

「よし!そろそろ温泉つかりにいくべし。一匹釣れたし。これでよし!」

釣ったんはあたしやけど、まあええか。

嬉しそうやし。

と二人でなんとなく韻を踏みながら、奇跡の一匹を大切に持って、オットと手を繋いで一緒に宿に戻り、その夜のご飯には1匹の虹鱒の塩焼き。二人でホクホク食べたなあ。



そんな思い出のカーディガンは、今でもあたしの体温を守ってくれる、オットがあたしのために走って買いにいってくれた、大切な大切な宝物じゃ。誰にも盗られん思い出やけん、遠慮なくここで発表させてもろたよ。ええじゃろ

姪っ子ハルよ。

あたしの最後のおしゃれな白装束にこのカーディガンは必須な。頼んだぞ( ^ω^ )

 

 

 

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